8人きょうだいの末っ子。
それも、想定外の子だったそうで、私の人生は周囲の無関心のうちにスタートしたらしい。
そんな乳幼児期から学齢期だったから、誰からも期待も注目もされず特別愛されもせず、
したがって、本人も(自分は何をどうしてどこを目指すべきか)など皆目見当もつかずに過ごした。
日々ボンヤリと時の過ぎゆくに任せながら、ただ、読書と思索に充実感を見出すような子供時代。
タップリの暇と自由を持て余すだけだった(お金には恵まれなかった)。
あの時分の無責任な暇時間が、どれほど貴重な時間であったかは後になって気付くこと。
親が子供に関心を寄せて手間もお金も注ぎ込む情熱を保てるのは、せいぜい2-3人までかな・・・
それ以下の子どもとなると、親も子育てに関する大体のことに慣れてきて先が見えるようになり、
親自身も齢をとって来るしで、全精力注入という姿勢は影をひそめてくるのは致し方ない成り行き。
まして、貧乏な家の8人目の、しかも期待に反する女の子となると、もうどうでもいいって感じでしょう。
振り返ってみれば、
期待されない、何をしても認められることはない、お金もかけてもらえない、無い無いづくしだったけれど、
私の人生にとって、却ってそれが幸いしたのかもしれないと思う。
独立独歩は早い時期から意識していたし、そうせざるを得なかった。
誰かの庇護や保護を当てにできないことを早くに自覚した結果、私はずっと一人で働き続けてきた。
そして、世間の多くの人が(何もしない・できない・することがない)と嘆く年齢になって尚、
毎日が忙しくて仕方ない。
これはこれで一つのあり方。
良いか悪いか、幸か不幸かの判断は、傍観する人間が下すべき事柄ではなく、
己の人生を受容するかしないか、各個々人の心の持ち方次第でその天秤はどちらにも傾く。
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