三太郎を考えてみた

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最近、携帯電話会社のCMに使われている三太郎が、けっこう人気らしい。

三太郎とは、桃太郎・金太郎・浦島太郎のこと。



日本のみならず世界中に子供向けのお話(いわゆるおとぎ話や童話)があるのだが、

その話を大人の目線で考察し直した本も出版されている。

白雪姫を別角度から読むとこうだとか、アンデルセンの童話が示唆することとか、

大人社会の事情で読み解くと、そこには単純なハッピーエンドでピリオドが打てない継続性が浮かび上がる。



そんな大人目線で三太郎を考えてみると・・・


金太郎は、力のあるものが勝負には勝つけれど、

勝負を離れたところでは互いの存在を認め合って共生しようとするごく平凡な人間の日常。


浦島太郎は、困っているものに手を差し伸べるのは人として当たり前の情であり、

その情で救われたものは救ってくれた人に感謝の念を忘れないこともまた人として疎かにできないことだと読める。

玉手箱を開けた浦島太郎が一瞬にして老人になったのは、ある意味乙姫の思いやりとも言える。

長の年月、現実世界を留守にして龍宮城で時を忘れて遊び呆け、

ひさびさ故郷に帰ってみると、そこは龍宮城に出発する前に見知っていた環境でもなく知り合いもいない。

そんな場所で不老の浦島太郎が生きて行くことに困難を覚えることはお見通しの乙姫は、

故郷の時の流れを一瞬にして浦島太郎に出現させる玉手箱を持たせたのだろう。


が、古来より人の願いのひとつに挙げられる「不老不死」の観点から見てみると、

永遠の命を手に入れてどうなるということへの暗示が含まれているとも言える。




金太郎も浦島太郎も、ごく普通の人間として受け止められるが、桃太郎に関してはどうだろう。

最近出版された本で(かぐや姫は嫌な女だ)という本が出ているらしいが、桃太郎も実は嫌な奴の部類かも。


高齢の両親に後生大事に育てられ、立派な装束に身を包み、きび団子を持たせてもらって鬼退治という手柄を立てに出立する。

鬼が島への道すがら、きび団子という餌にすり寄ってくる者たちを手下にして鬼退治を手伝わせる。


村の人間にとっては鬼が悪者かも知れないが、鬼社会から見ると桃太郎が敵である。

それまでは鬼社会なりの日常が営まれていたところに桃太郎が家来を連れて乗り込んで来て、

鬼社会の平穏をぶち壊したとも言える。

村に帰った桃太郎は英雄扱いされるかも知れないが、鬼たちからは憎まれるだろう。




おとぎ話や童話のような本来子供向けとされる話にも、しっかり大人社会は反映されているわけで、

各年齢・各立場のオトナ目線で見直してみると突っ込みどころ満載のお話ばかりだと言えそうだ。


つれづれなる日々に、そんなことが頭に浮かぶこともある。

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このページは、tsuyuが2016年12月24日 23:42に書いたブログ記事です。

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