亡夫の長兄は80代前半です。
初めて出会った時から右傾の人であることは分りました。
しかも、持論を展開し始めるとひとの意見には耳を貸さないことも分りました。
夫が亡くなって30年経ちますが、義兄は春と秋のお彼岸には必ず墓参りにやって来ます。
それは有り難いことではあるのですが、対応が非常に難しい人物なのです。
私も歳とってきて、その対応に気を遣うことが年々負担に感じられるようになりました。
時にはこちらの事情でやんわり来訪をお断りすることもあるのですが、
来ると決めたら絶対来ることを変えないので、別日の約束を迫られます。
母子家庭で、全てを一人でこなさなくてはならない私の状況や都合など聞き入れてはもらえませんでした。
もうじき秋のお彼岸、そろそろ電話がかかってくるのではないかと思っていたら、案の定。
しかし、今回は向こうの事情で来られないということです。
なんでも、心臓の検査と認知症の検査で医者に行くから来られないということらしいです。
年に何度も電話し合うことはありませんが、
たまに電話で話をするといつも「あそこが具合悪い、ここがおかしいと医者から言われた」と、
今にも重大な事態になりそうに彼の体調を語り聞かされます。
その話が一旦政治や社会情勢の話になると大変です。
延々と義兄の持論を拝聴することになります。
途中、私の意見を挟もうものなら、すごい剣幕で反論してくるので、私はただひたすら「ふんふん」と拝聴するのみ。
お墓参りの後では我が家に来てもらうのですが、その時も、彼の話にずっと付き合うこと2-3時間。
疲れます・・・・・・・・・・・
話がキャッチボールの如きやり取りであったなら、私もこれほど負担に感じることはなかったでしょう。
歳をとれば頑固になるし、ひとの言うことなどに聞く耳持たなくなるのは、
多かれ少なかれ誰しも同じ経年変化だと思います。
が、義兄の場合は年齢重ねてこうなったわけではなく、昔からこの傾向なのです。
歳とってますますその頑なさがひどくなり、おまけに怒りっぽくなっています。
ひょっとしたら、私も周囲から同様の観察を受けているかもしれません。
年齢の重ね方の難しさを感じています。
義兄のことを反面教師として、自らを律していかなければと思うのですが、
さあ、これから私は上手に年を重ねることができるでしょうか。
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