昨日、職場の行事があり、この春に異動して他の職場に移った職員も顔を見せました。
私は定年した後の再雇用人員として働いているのですが、
現役社会に関われるのもあと少しという想いがあり、納得のいかない事柄には意識的に率直に発言しています。
その対象は、地位の上下を分かちません。
若い人たちには特に、個人的に面と向かって「それはおかしい」と伝えるようにしています。
その際に気をつけていることは、皮肉や婉曲の言い方をしないということです。
おかしいと思うことを率直に指摘します。
そして、(ここが大事だと思うのですが)どうすれば上手くいくのか、筋道を通せるのかを付け加えます。
その上で、一回目は仕事の成就に手を貸して、当事者たる人物の面目が保たれるように心がけています。
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」人は多いので、目先の課題が解決されれば一件落着として、
さも自分に力があるから成し遂げられたように記憶に定着させてしまうようです。
でも、異動で別の職場に移ってみて初めて、率直な言葉をかけてくれる人間の何たるかを知ったのでしょう。
昨日も、「あなたのような人に傍にいてほしい。教えてほしいことが色々ある」と、懐かしそうに言っていました。
私は、ハッキリ言って自分を馬鹿だと思います。
綺麗ごとや心にもない優しげな態度でいれば憎まれないものを、
このままでは事は上手く運ばないし本人の為にもならないと思えば、声を厳しくして相手に向かい合います。
そんなところが、悪意の人間の格好の標的になり、さまざまな悪評判を噂として流されたのでしょう。
かつての国鉄総裁だった石田禮助さんの「粗にして野だが卑ではない」という言葉が好きです。
私は、粗野な人間ですが卑しくはないつもりです。
最近、若い者を注意したり子供を叱ったりする大人がいなくなりました。
「嫌われたくない」「自分には関係ない」「面倒くさい」など、理由はいろいろあるでしょう。
でも、現在の日本の混乱と先行きの不透明さの責任は、我々のような高齢者にもあるのではないか、
いやむしろ、現在の社会を作ったのは、かつて社会から利益を受けてきた現在の高齢者と言えるのだから、
「もう現役引退で、お金もそこそこあるし、後は楽しんで過ごしたい」とフェードアウトしている場合ではないような気がします。
嫌われても、面倒でも、これからを生きる人たちの為に、高齢者も心を砕かねばと思うのです。
また、若い者も、心ある高齢者の知恵や経験をないがしろにせず、耳を傾け行動に活かしてほしいと願わずには居られません。
高齢者に残された時間は少ないのです。
若い者も高齢者自身も、伝え教わる時間を失う前に気付いてほしい。
そう思います。
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