「保育園落ちた、日本死ね」で思ったこと

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私は、こちらの記事 「怒りの矛先は保育園を増やさない行政なのか?」 に共感する。



時代は変わるし、生活様式も昔とは違うことは百も承知の上で、

それでもなお、せめて3歳前後までの子供は親に見守られて育つのが自然だと思うし、

親になった者は、自分が我が子を養育することが第一の前提で考えてほしい。



ゆとりある家計の為とかキャリアの中断が惜しいとか、

そういう親の事情や都合を優先して、肉親の見守りと養育が一番必要な乳幼児を第三者に預けるのは如何なものかと思う。

また、子育て経験者として、後で振り返ってみると、

乳幼児期というのは人間の一生で一番愛らしい時期であり、親の愛情と世話が一番必要な時期でもあるということを痛感している。

せっかく親になったのに、そんな子供の一番愛らしい時期を共に過ごす時間を削るのは、それこそ実にもったいない。



なんか違うと思うんですよ、最近の保育所問題の論点。



「3歳児までは自らの手で育てたい、だから、その間の生活が行き詰まらないような支援をしてください」と、

そうした発想は無いのだろうか?



↑ でリンクを貼った記事内容にもあるが、

まずは、男女どちらも外で働くこと前提の子育て論議が気になる。

過去、専業主婦の家事労働は労働ではないのか?という議論があった。

家事労働はけっこう大変だ。

しかも、いくら働いても、家事労働そのものへの評価や定まった報酬は無い。

「働く」とは外に出て給料を得る事、そこで評価されることこそ目指すべき大人の姿で、

家事労働は誰にでもできる取るに足りない仕事だと、女性たちが思い込んでしまったのではなかろうか?


そうでもないよ。

家事も育児も、時間の制限や評価基準の定めのない、けっこうきつい仕事だ。

しかし、その働きによって得られるのは、家族と自分の幸せという報酬であろう。

(その報酬は、目に見える形として手に取って確認することはできないが)



乳幼児期から我が子を他人の手に預けて、

家族と共に居る時間を削ってまで会社に勤務して得る報酬が幸せの基準なのか、

少ない家計をやりくりしながらでも、我が子の乳幼児期、密接に肌触れ合いながら、

親子共に人間として成長して行けることが幸せの基準なのか、


その辺りのことに関して、最近の保育園論議にはモヤモヤしていたが、

上記のブログ記事を読んで共感を覚えたので、私もここに意見を述べてみた。

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このページは、tsuyuが2016年3月 6日 12:34に書いたブログ記事です。

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