30数年の職場人生、ずっと理不尽な噂やいじめと闘いつづけて来た。
それは、最初に配置された職場で出会った(困った人物)との軋轢(あつれき)に端を発している。
間が悪いことに、その(困った人物)とは、管理職になり立ての女性上司だった。
非常に我がままで怠け者、自己中心的な思考で、傍の人間の感情には一切興味なし。
成長過程で、ずい分甘やかされて育ったのだろうと推察した。
彼女の生き方は、とにかく甘え上手。特に男性に対しての取り入り方は上手い。
その女性上司に目をつけられて流布された噂に尾ひれがついて現在に至っている。
なぜ私が、そうした状況にもかかわらず30数年耐えて仕事を続けられたのか?
それは、子供の頃から独りで思考し行動することに慣れていたからであり、
最大の要因は、二人の幼い子供たちの存在であったと言える。
(この子供たちを守るのは私しかいない)との強い意志が支えになった。
この仕事に就く直前に夫の病死があり、親も親戚も頼れぬ土地に永住の意思を固めたこともあり、
いわば、背水の陣でスタートした36歳からの再就職先であった。
そうした背景が無ければ、私はとっくに転職していたか、精神を病んで自ら命を捨てていたかもしれない。
まさに「母は強し」だったのである。
世の中には、過酷という試練と縁遠く人生を過ごす人がいる。
特に、高度経済成長期にそれなりの財を蓄えた両親の下で育った世代の脳天気さには、しばしば閉口させられる。
その年代が、現在、ちょうど社会の中心で重い責任を果たすべき管理職相当になっている。
今、経済的にも社会問題的にも外交的にも厳しい状況にある日本にあって、
学歴もそこそこ、職もあり給料もそこそこ手にしている彼らの「自分さえ良ければ」の思考・行動は、大いに議論されて良いと思う。
上記に指摘した年代からは大いに反発を受けそうだけれど、皆が皆そうでないことは勿論承知している。
では、一人一人の差異はどこから生じたのか?
それはやはり、両親の背中、家庭の在り方の影響が大きかったのだと思う。
日本は、先の大戦で多くの人材を失った。
国の将来を担うべき優秀かつ徳も備えた多くの人物が、戦場に散ってしまった。
その結果、縄文時代から脈々と培われ受け継がれてきた日本人社会特有の伝統文化の断裂が生じることになった。
戦後は、欧米の価値観が最良最優先となり、日本社会のモラルや精神は崩壊していったのだと思う。
現在放映されているある金融会社のテレビCMで、
「メールで告白、メールでプロポーズ、親御さんへの挨拶もメールで・・・」
「あかん気がする・・・」「ボクにはボクのやり方!」
という作品があり、これを目にする度に気になっている。
こんなことが普通に行われているのかも知れない、これからはもっとそうなるんだろう、と考えると脱力感を覚える。
何が良くて何が醜悪であるか、意識に登ることすら無い人間からの攻撃をかわすのは難しい。
理を尽くして話をしようとしても、受け入れない、または、理解の基になる共通理念が無いからだ。
まさに『理不尽』なのである。
一介の庶民である私には、こうした状況に暗澹たる想いを抱いても、どうすることもできない。
ささやかに、自分の身近な経験事項に関してだけは、誠実に対処することしかできない。
ただ、この年齢(64歳)になった私が確信できることは、
何があっても自分と自分の大切な人々の命と平穏は守る覚悟で生きることが肝要、ということである。
常にその覚悟を反芻しながら事に対処すれば、自ずと、最優先事項が見えてくるように思う。
『理不尽な行為』に固執する相手に理屈で立ち向かおうとしても駄目なのである。
その場合は、一旦、『理』を捨て去って、ひたすらその場から『逃げる』に限る。
『逃げる』とは、必ずしも物理的な環境を意味するものではなく、精神的・思考的な『逃げ』もある。
私の場合は、
職場では可能な限り、問題の女性に近付かないし、彼女を見ないように努めている。
そして、こうしてブログを書きながら、ああでもないこうでもないと振り返りをすることが、
やり切れない気持ちの逃げ場になっている
そうして距離も時間も置くうちに、何らかの状況変化のチャンスは必ずある。
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