長く生きていると、経験の積み重ねからの気づきが多くなる。
同一の職場なら、尚更、過去の例に照らし合わせて、
「こうすれば良くなる」「ああすれば事は上手く運ぶ」という、
各事例の判断が頭に浮かんでしまう。
同僚から嫌われまいと思えば、そうした気づきは呑み込んで口外しない方が賢明かもしれない。
うるさいことを言わないで、黙々と、若い後輩たちの気づかないことを片付けてやれば、
嫌われない年寄りでいられるのだろう。
しかし、言わなければ気付けないし、その人自身の改善にもつながらない。
そんな思いの方が勝る私は、直接または間接で、口に出すことにしている。
直接の指摘に耳を傾けてくれる人には直接指摘する。
直接言うとへそが曲がる人には間接的に伝わるように、こちらの意思を口外する。
どちらにしても、不都合な出来事が改善されるなら、それで良しと思っている。
結果、私は、相当な「やかまし婆」となっていることは間違いない。
私は、自分には邪(よこしま)な気持ちは無いと思っていても、
嫌う人はきっと私を嫌っていると想像がつく。
今、人生の残り時間を意識し始めた私は、好かれるか嫌われるかで行動をするつもりはなく、
「ダメなことはダメ」だと、一旦は主張することにしている。
そうしたこちらの主張にもかかわらず、物事が改善の方向に向かいそうになければ、
それを見極めたうえで諦めることにしている。
諦めの決断は速い。
何しろ、私には、この世で残された時間が短いのだから、
一つの事柄に執着して長く付き合う余裕はない。
今日、間接的に伝えておいた事が、第三者の口を経て本人に伝わり、ある一件が円満に解決した。
「年寄りは嫌われてなんぼ」、それを覚悟したうえでの職場の日々。
ま、淡々と過ごすのみ。
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