「あれはダメ」「これもダメ」「あれは赦せない」「これも赦せない」、
最近はそんなことばかりのような気がする。
「ダメ」だとか「赦せない」と言われていることの中には、
「そんなことどうでもいいじゃない」「個人の嗜好の問題でしょう」
と言いたくなる事柄も多々ある。
反対や否定を強硬に主張する人たちは完璧かというと、それは疑わしい。
個体を別にすれば、思考も違うし、行動も異なる。
百人いれば百通りの価値観がある。
そのことを理性で認識できるのが人間であり、
違って当たり前だという基本認識を踏まえた上で、
許容や赦しに発展できるのが人間の人間たる特性だと思う。
要は、寛容であろうとする心構え。
耐え難きを極限まで耐え抜いた揚句に暴発するのではなく、
耐え難い事柄はチビチビと小出しにし、
小出しに噴出された負の感情は、
周辺の人々の寛容なやり過ごしによって、その都度、雲散霧消させるのが良い。
千葉県で、17歳の男子高校生が祖父母を殺したというニュースが報じられた。
またまた「殺すのは誰でもよかった」という事件である。
祖父母殺害の真相は明らかではないが、日常のイライラが高じていた可能性はある。
その男子高校生にとっては、何らかの極限の耐え難さがあったのかもしれない。
我が身を省みず、周囲を批判したり非難したりの繰り返しでは、
いずれ自らも住み心地悪くなることは必至。
人間誰しも完ぺきではないことを自覚すれば、
易々と他人を害することはできないし、する必要もないことが解るはず。
人間は、社会を形成して以来ずっと、同じような過ちを繰り返しながら現代に至っている。
知識や道具は進化発展しても、生身の人間の道徳観は、ちっとも高度にはなっていない。
このまま人類滅亡まで、同じことの繰り返しが続いて行くような気がする。
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