加齢と共に視力は衰え、視野が狭まっているように感じる。
白内障になるのではないかという漠然とした怖れや、
既に診断されている加齢黄斑変性の移行状況も不安の種。
そうした身体的な意味での「視野」への不安と共に、
社会的な物事に対する「視野」の狭まりも急速に進行している。
年を追うごとに人間関係が煩わしくなっている。
もともと独りで行動することが好きな性質(たち)なので、昔から人との交流は少ない。
それでも、日々生活していれば、何らかの接触はあるわけで、
それなりに人中(ひとなか)に出る機会も多く、人間関係も経験しながらやり過ごしてきた。
定年退職して週に3日の仕事になり休日が増えた今、ほとんどの時間を家で過ごしている。
情報源はもっぱらネットとテレビと新聞という毎日。
それも最近では、「はたしてこの情報は正確なのか?」というところから疑わなくてはならない。
昔は、同じように限られた情報源(テレビ・ラジオ・新聞など)でも、
今よりは単純に無邪気に受け止めて信用していたような気がする。
そのことの是非はさておいても。
「信じる者は救われる」ではないけれど、疑わなければ強気でいられたという面はあろう。
今は、全てを疑わなければならなくなって、かえって自分に自信が持てない状況にある。
インターネットでさまざまな情報を検索して、即時に疑問が解けたかに思えるのも善し悪しだ。
そうは思いながら、わが身に何の感覚的な影響も及ぼさないメディア媒体を眺めつつ、変化の無い日々が続いていると、
自身の感覚で判断できる視野は狭くなりつつあることを意識せざるを得ない。
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