いわゆる「3K」と呼ばれるようになって、
できれば避けたいというニュアンスで語られる仕事がある。
おかしな話だと思う。
と言うのも、
生きる糧を得るために、原始より人は自らの体を動かして作物を育て狩りをしてきたはずだから。
それが労働の基本の筈だから。
日本が高度経済成長時代、地方で農業を営む親や零細自営業で四苦八苦する親は、
できれば息子には大企業の小奇麗なオフィスで給与の安定したサラリーマンになって欲しいと願い、
娘には、そうした社会的地位を得た男性の妻におさまって安楽に暮らして欲しいと願った。
そして、多くの若者が都市に集中し、親の生業を受け継ぐ者はいなくなった。
都市で仕事を得た若者も、やがて家庭をつくり子を育て年老いてきた。
彼らの子どもたちは、泥にまみれたり工場の油にまみれたりする肉体労働とは無縁に育てられた。
それどころか、親が働く姿を目にする事さえなくなった。
それでも辛うじて、戦中戦後の時代に成長した者たちはサラリーマンになっても、
汗にまみれて働く親の姿を見て育った記憶はあり、そうした労働への理解も残っていたが、
その子どもたちにはその記憶は受け継がれなかった。
そのような、最初から肉体労働などとは無関係に育った子供たちが成長し職に就くころからだろうか、
いわゆる「3K」の仕事が一段下に見られるようになったのは。
体を動かして働くということを見下げる感覚は如何なものかと思う。
体を動かす為には脳もフル活用しなければならないことを、そういう人たちは想像もできないらしい。
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