役員決めの困難(PTA)

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今朝、羽鳥慎一さん司会の朝の情報番組(モーニング・バード)でPTA役員決め問題を扱っていました。

 

私にとっては、既に遥か昔々のことになってしまいましたが、

いまだに、と言うより、昔よりももっと「引き受け手の無い」問題が深刻化しているという感想でした。

 

我が子が学齢期のころも、やはり、PTA役員の選出は難しい問題でした。

 

入学式が終わったら、そのまま保護者を引き留めて役員の選出という方法がとられるようになったのは、

我が子が学齢途中のころだったような・・・

 

聞くところによると、入学式はほとんどの保護者が学校に姿を見せるけれど、

その後の参観日などでは出席する保護者の数がグッと減るので、

役員選出に関して様々なトラブルがある為の苦肉の策だとか。

 

 

私は、あのダンマリの時間が耐えられなくて、

「じゃあ、私が手を挙げてしまいましょう」と、毎年何らかの役員を引き受けてきました。

 

振り返ってみると、

学校のPTA役員を積極的に引き受けたお蔭で身に付けたことが多くありました

 

何事にも積極的になれたこと。

常に問題意識を持ち、社会への関心を深められたこと。

人をまとめることの難しさを知ることで、社会集団の中での振る舞い方を学んだこと。

などなど・・・・・・

 

毎年役員を引き受けていると、

「あの人ね、目立つことが好きなのよ」とか「偉そうに・・・」とか、

必ずそうした類の見方や陰口をする人たちが出てきます。

 

じゃあ、そうした噂を立てる人たちが積極的に役員協力するかというと、

そんな人たちに限って非協力的で、何かの折にイチャモンだけはしっかり付けて決定の妨げをしがちです。

 

 

まあ、どちらの人間が良いか悪いか、私には分かりませんが、

大人になると、兎角忘れがちな「学習」と「成長」を経験できて、

尚且つ、子供の学校を身近に感じられる機会を自ら放棄してしまうのは、

本当にもったいないことだと、私は思います。

 

 

怠惰や責任逃れが理由で多くの人が避けようとすることを、

敢えて引き受けることで見えてくる世界というのは、

通常の誰でもがやりたがるアレコレには無い貴重なことを含んでいることが多いです。

 

とにかく、「やってみなくちゃ分からない」世界なので、

(人を束ねる)とか(人の為に自らの力を提供する)という行動に対して後ろ向きにならないで欲しいなあ、

そんなことを考えました。

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このページは、tsuyuが2015年4月 2日 10:01に書いたブログ記事です。

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