今、宮本常一の「忘れられた日本人」を読んでいます。
宮本常一は、各地の古老を訪ね歩き、聞き取り調査に徹したわけですが、
読み進むうちに、現代においては、宮本がとった手法の「聞き取り調査」に替わるものとして、
ブログは、後々の民俗学に有用な資料になり得るのではないか、という感じを抱き始めました。
これは、私が14年前からボツボツと更新しているHPの日記を読み返して感じたことが、
「忘れられた日本人」の内容と重なってみえたことから、そう思うわけです。
現時点で、インターネットには数多くのブログが存在するわけですが、
それぞれの個人的な日常が、即時性をもって綴られているものが多く、
これらを10年後20年後50年後100年後に読み返すと、
平成時代の一般市民生活から時代の様相が浮き彫りになるはずです。
その観点からすると、
この「にほんブログ村」のように、カテゴリー別に分類されているブログの集合サイトは、
とても重要な資料になるでしょうね。
歴史に名を残すような偉人や有名人に関しては、
誰かしらがその一代記や偉業を掘り起こして記述するでしょう。
しかし、そのように【特別な人物】ではない、
名も無き庶民の暮らしは誰も調べてはみないだろうし、
ましてや、記録に留めて後世に伝えるわけでもないでしょう。
でも、社会というのは、やはり庶民のものだと思います。
名も無き一人一人の庶民が、懸命に生きる日常の積み重ねが、
その国を形作って行くのだと思います。
そうか、ブロガーはある意味において「語り部」なんだ!
うーん、やはり民俗学は面白い。
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