一時期ほどではないにしても、相変わらず語学学習への関心は高いと思う。
教育現場でも、今や日本全国どこの小中学校にも ALT が派遣されるようになった。
果たして、 ALT 配置の成果はあがっているのか?疑問だ。
にもかかわらず、それなりの報酬を払って、
日本に来ている英語をしゃべる外国人を雇っている。
彼らの教育技術はどれほどのものか知りたいものだ。
↑ こういうブログを見つけた。
このブログを読むちょっと前に見つけた別のブログでは、
「日本人が英語をしゃべれないのは、英語の文章を組み立てられないからでも
発音が悪いからでもなく、話す内容を持たないからである」
とあった。
私は特別英語が堪能なわけではない。
だから、専門的な英語論を展開できる能力は持っていない。
ただ、日本人の英語に関する片思いのような感情に大きな違和感を感じるのである。
上記の「わたし(たち)はなぜ英語がヘタなのか?」のブログにも名前が挙げられている
中津燎子さんの著書は、私も二十数年前に読んで「そうだ、そうだ」と思ったことがある。
ここで英語論を展開するほどの力は持ち合わせていない私だけれど、
あえて言わせてもらうなら、
どうしても外国人に話したいことや語れる内容を持つことの方が先決のように思う。
言語は、あくまで コミュニケーション の道具であり、
この道具を使うには、
その中に詰め込む素材(想い・知識・教養)が必要であることを忘れてはならない。
この場合の(想い・知識・教養)は、インターネットの検索で即時に手に入るものとは違う。
お手軽な英会話の学習に時間を費やすより、
さまざまな分野へ好奇心のアンテナを張り巡らして、
コミュニケーションの素材をどんどん蓄積することのほうが有益ではなかろうか?
そうすれば、外国人との会話も、たどたどしい英語でも弾むだろうし、
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