あの極悪卑劣な犯行から20年の歳月が流れたのですね。
地下鉄サリン事件があった年には、年明け早々に阪神淡路大震災があり、
日本中が衝撃を受けて、歴史上忘れてはならない年になりました。
20年という歳月は長いです。
あの年に物心ついていなかった人々が成人を迎えているのです。
また、そうした若い人々の中に、
再びこの新興宗教に惹かれて入信する者が増加していると、
昨今の報道で知りました。
手ごたえを感じることのできる健康な精神生活を形成し難(にく)い現代の社会が、
悩む若者を、得体の知れない宗教的な集団の、
猫の皮を被った巧みな誘いの網に追いやっているのかもしれません。
「未熟を育てる周囲の温かい眼差し」と「寛容の姿勢」を失ってしまった今、
どうしたら互いを尊重し思いやり合える想像力豊かな社会を取り戻すことができるのだろう。
先の大戦、広島・長崎の被爆体験・オウムのサリン事件、
これらの実体験者が次々に表舞台から去って行きつつあるいま、
問題は深刻でありながら、これといった有効な手が打たれていないとしか思えない。
最近の事件で犯人が「誰でも良かった」と言っていることが伝えられることが多くなった。
地下鉄サリン事件は、
「不平不満のはけ口として危害を加えるのは誰でも良い」
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