スンナリとその叫びが受け入れられることは、残念ながら期待できないでしょうね。
どうしてか・・・という論理的な解説はできませんが、過去の経験からそう思います。
身近な人間関係から社会的に注目される事象まで、
思い出してみると、「やめて!」の声に即応して中止された例は稀です。
まして、その後、傷ついた側への謝罪など・・・
そうそう、昨夜 Eテレで「ETV特集 立花隆が次世代に託す被爆70年のメッセージ」という内容を放送しました。
核兵器廃絶を世界に訴える行動が立花隆さんのジャーナリストとしての出発点にあったそうです。
被爆の惨状をうつした映像や写真を携えて欧州に出向いた立花さんは、
かの地の反応の鈍さと、その後の各国の核兵器開発&所有の増加に、
核兵器根絶の問題から一旦遠ざかっておられたようです。
その後、さまざまな社会問題を取り上げてこられた立花隆さんでしたが、
ご自分の健康問題や年齢などを強く意識されたのでしょう、
今一度、世界唯一の被爆国日本から、平和実現の提案を世界に発信してくれる若者の出現を期待して、
ご自分の経験や思慮などを若者に伝えたいと、行動を起こされたようです。
50年前に「《核兵器》やめて!」と一人上げた声は届かず、立花さんはその後声を出さなかったわけですが、
その50年前に立花さんが欧州で出会ったカナダ人の男性は、その後も核廃絶運動の先頭に立ち続け、
アメリカがソ連の核兵器に対抗する手段としてカナダに配備した核兵器を撤去させるに至ったそうです。
「やめて!」に応じて相手が止めてくれるまでの長いながーい道のり。
それを考えると、大部分の場合は諦めてしまうのも分かります。
そんな大きな話ではありませんが、
日常の中で、「やめて!」とハッキリ声にした経験が多々ある私ですが、
その後の成り行きや結果が良かったことは数少ないですね。
どうしたものやら・・・
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