案の定・・・(女性閣僚について)

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現安倍内閣の女性閣僚に関しては、その就任当初から危惧していたが、案の定、問題が露呈して政府の存続を危うくしかねない状況になっている。

 

先日、あるテレビ番組に出演された曽野綾子さんが指摘されていたのだが「 "女性が輝く" をうたい文句にしなければならない社会では良くない。男性も女性も平等に普通に輝く社会でなければ」という意見に賛同する。

 

そもそも今、男性が権利を独り占めして威張り散らし、うまうまと社会を渡っていると言えるのか?男もきっと辛い時代だと思う。女が男が・・・と、互いの環境を比較して恨み言を述べていられる時代ではないような気がする。

確かに、この国では女性に開かれている門戸は限られていたし、暗黙のうちに女性の役割と決めつけられてきた仕事(育児・介護・家事など)は未だに女性が担っている場合が多い。そして、そうした(人が生きていくうえで避けられない日常の仕事)に対する評価は低いままだと言える。私に言わせれば、身の回りをきっちりマネージメントできる人は、何をやらせても一通りの仕事ができる。

 

が、最近では日常生活関連の仕事を満足にこなせない男女が増えてきているらしい。ということは、その子どもたちに暮らしの基本が伝わる可能性は当然低い。昔も今も、男であろうが女であろうが、身の回りの雑事は、最低限自らの手で行えることが一人前の人間であり、人を育てるということはそのことを目指しているのだと思う。(もちろん、病気や身体の不自由さから人の手を借りることは許される) 

地位や名誉や財を取得するか否かは二の次三の次で良い。

 

「尻拭いする」という言葉がある。ある人物のしでかした厄介な不始末の片付けをすることである。自分のお尻でさえ誰かに拭いてもらって恥じないような「坊ちゃん嬢ちゃん」育ちに、社会の為、人の為の仕事を任せられるのか?はなはだ疑問に思うところである。

 

まあ、先日の新内閣集合写真で首相の周囲に誇らしげに立つ女性閣僚を見て、「この人たち大丈夫か?」と思った予感が、こんなにも早くに的中してしまうなんて・・・

 

じゃあ、男性閣僚ばかりだったら良かったのかと言われると、思いっきり頷けない気持ちもある。

 

根本的な問題は、地方自治体から国政まで、「この人なら選びたい」と思える人が立候補者の中に見つからないという不幸な状況である。裁判においては裁判員制度ができたことだし、国会にも、国民から無作為選抜の代表を定期的に送り込む制度ができれば良いのにと思う

 

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このページは、tsuyuが2014年10月19日 14:11に書いたブログ記事です。

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