今、「アルジャーノンに花束を」の著者 ダニエル・キイス氏が亡くなったというニュースが耳に入った。
科学技術の未来を予測して著されたSF作品。
過去に読んだSF小説の中で「アルジャーノンに花束を」と「わたしを離さないで」は忘れ難い作品。
「アルジャーノンに花束を」は、知能が劣る主人公が脳の先進手術によって並外れたIQを獲得するという話。
「わたしを離さないで」は、臓器移植のパーツを提供する為にだけ生を受け、
隔離された環境で生かされている若者たちの話。
確かに私たちは、技術の発達の恩恵を受けて便利で豊かで安心できる暮らしを手に入れたと言える。
今更それらの技術を拒否して、わざわざ原始的な暮らしに戻ろうとは思わないし戻れもしない。
けれども、どんなに科学技術が進歩しようといじることができないものがある。
それは人間の喜怒哀楽の感情部分。
知能は劣っていても、治療前のアルジャーノンは皆から愛され親しまれていた。
臓器移植のパーツを作る為だけに生まれ育てられ、隔離された環境でその日を待ちながらも、
若者たちは愛し、悩み、苦しみ、苛立ちの感情を排除することはできなかった。
いま人型ロボットの開発が進み、実用化の話が現実になってきている。
文学作品というのは、こうした科学技術の分野に存在し得ない*人間らしい感情*を扱う。
インターネットから得る断片的な知識を検索することで「知っているつもり」になるのは、実はとても怖いことである。
人間の感情ほど読めないものは無い。
それは予測したり想像したりするしかないのだが、その予測や想像の根拠となるのが経験。
一生のうちに一人が経験できることの限界を思う時、
やはり読書は人の感情の成長や発達に欠かせない要素だと思える。
人が幸せを感じるにはどういう最低限の条件が挙げられるのだろうかと考える時、
コメントする