今年の本屋大賞に「村上海賊の娘」 和田 竜:著 という本が選ばれたそうだ。
この本に対してさしたる興味があるわけではなく、(村上海賊)という言葉に反応した私。
(村上海賊)というより、私にとっては(村上水軍)という言葉での出会いだった。
誰がその名前を教えてくれたのかというところに、この固有名詞が私の記憶に定着することになった理由がある。
私には21歳年上の腹違いの姉がいた。私の父がその娘を残して養子先から出戻り、その後、私の母と縁組したために、その姉は父無しの家庭の長女で一人娘として母親を助けながら苦労したようだ。そういう経緯でありながら、私が物心ついた頃にはその姉との行き来があり、私は一番上の姉として親しんできた。
血縁のある身内が言うのもなんだけれど、その姉は聡明で情愛溢れる穏やかな人だった。自分を捨てた父親が、別家でもうけた8人の弟妹にも優しい愛情で接してくれたし相談にものってくれるような人だった。
そんな姉は向学心強く、読書家だった。
ある時、その姉の家に遊びに行ったときのこと、最近どんなことに興味を持っているかという話になった。年下で小生意気な理屈やの私が弁舌ふるい、それを穏やか聞いていた姉が珍しく自分の興味関心をもち出した。その時に出てきた名詞が「村上水軍」だったのだ。
姉は自分がなぜ「村上水軍」に関心を寄せているのかについてもっと語りたかったのだと、今思い返すと分かる。しかし、当時まだ若すぎた私は(小学校高学年か中学生くらい)自分が語ることに夢中で、姉の話に傾聴する思いやりに欠けていた。しかし、なぜかその後もずっと、その姉のことを思い出すたびに「村上水軍」という名詞が思い浮かぶようになった。たぶん、その時の姉との会話が未だにピリオドを打てていないのだと思う。
生意気で自分の考えを述べることばかりに急だった私も、その後、年齢を重ねてさまざまな試練・経験を経るにつれ、あの姉ならどう考えるだろうと思うことが多くなった。時すでに遅し。姉はもはやこの世の人ではなくなっていた。
今更ながら、叶わぬことながら、もう一度あの時の「村上水軍」の話題に立ち戻って姉と会話を続行してみたい気がする。
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