またぞろ・・・ため息

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名古屋市の中学2年生男子生徒が自殺した事件で、教師の "発言" の有無が問題視されている。

「度胸もないくせに」

「人間はそう簡単にそんなことできるもんじゃないから」

という言葉を、学級の多くの生徒たちが耳にしたと証言している。

 

にもかかわらず、

担任教師は、記者会見で「言っていない」と言い、

「私がこの場でどのようなことを言っても、それを聞いた人の理解の仕方はそれぞれだから」

当日の帰りの会での自分の言葉を聞いた生徒が、

悪意の理解で事後のインタビューに答えているかもしれないと言わんばかりの釈明をしているという。

 

ちょっと待ってください先生、

メディアのインタビューに答えている子供たちも、あなたの担任の生徒たちですよ。

その子たちの尊厳を損なうような、自己保身に徹した発言はよろしくないでしょう。

インタビューで証言した生徒が間違った受け止め方をしていたとしても、

まずは、そう思わせてしまった自分の指導を反省するのが先でしょう。

あれではまるで、自分の学級の生徒たちが皆、嘘つきだと言っているようなものですよ。

 

常識的に考えると、

普段から、あなたへの生徒の信頼が厚ければ、

生徒があのようなことをメディアの質問に対して言わなかっただろうと思いますよ。

 

「死ね」「きもい」「うざい」は、ひごろから生徒の間で挨拶のように交わされていた言葉だった、ですか?

その言葉がすでに通常の日本語の会話になったような意識でいらっしゃいましたか?

だとしたら、

今日のような品のない社会になったのは、学校教育の緩みから始まっていると言われても仕方ありませんよ。

なぜならば、

社会を構成しているのは一人ひとりの人間個人だし、

その個人とは(少なくとも日本においては)、幼児期から思春期までに

家庭の教育と義務教育の場で人格形成と基礎知識の習得を受けて社会に出る人間性を養っているのですから。

 

名古屋市の中学校、帰りの会で「〇〇君は、今日自殺するそうです」と言った生徒に対して、

血相変えて語気を強めて  「そんなことは口が裂けても言うものではありません!」 と、

どうして担任は言わなかったのだろう。

そして、その後の精神的なフォローをできなかったのだろう。

 

教育現場にある人たちの感受性の鈍化を悲しむ。

これは今に始まったことではなく、

私自身が幼いころから経験してきたことが、未だに続いていると思うからである。

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このページは、tsuyuが2013年7月15日 14:02に書いたブログ記事です。

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