http://www.taharasoichiro.com/cms/ (田原総一朗ブログ)
↑ 再び田原総一朗氏のブログを読んで。
最新記事に「哲学と宗教」への考察が述べられていた。
いま人々は、精神的支柱となり得る不変の価値観を見失った時代と言えそうだ。
寄辺を見つけられぬままに彷徨する人間の 心 。
空疎な言葉が交錯するばかり。
言葉に精神の救いを見いだせぬ人間が、手っ取り早くすがるのが物や金。
物や金への欲望は限りがなく、求めて手にすればするほど、精神的充足からは遠ざかる。
一方、如何に生きるべきか、何を一生の最重要項目と掲げて日々を暮らすかに思考の大半を注ぎ、
ああでもないこうでもないと自らを内省しつつ歩めば、ずっと先のほうに見えてくる光がある。
その光こそ、人の精神を照らすものであり、その光に手を差し伸べつつ、人は生きていける。
光は、具体的に手に取って五感で確かめられるものではない故に、まさに精神的存在である。
その光こそ、哲学的思考の彼方(到達することはないが)に待ち受ける平安だと思う。
何度でも言いたい
「人はなぜ存在し、何を為そうとするものなのか?」
と、自らに問うてほしいと。
世界の初めに 神ありき でも まして 人ありき でもなく、
ただただそれは無条件に受け入れるしかない存在という事実である。
いまここに在ること、そのことにはどんな疑問も差し挟む余地はない。
その実存を自らの内奥に手ごたえある実感に昇華する為の手段は、思考を繰り返す精神活動しかない。
その精神活動こそ、先人が実存の理解に悩み苦しんだ果てに編み出した 哲学 という分野だったのだと思う。
その先人の遺してくれた、この不可解な人間という存在にとって本当は一番必要であろう 哲学 を、
近代人は疎かに扱い、いまや捨て去ったも同然の状態にしているのではないだろうか?
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