このごろ頻繁にテレビで、あのご長寿双子のぎんさんの娘さん四姉妹をお見かけする。平均年齢90歳くらい。皆さん朗らかで仲が良さそう。発言もしっかりしていらっしゃる様子で、さすがぎんさんの遺伝子をしっかり受け継いでおられるようだ。あやかりたいものだと思う。
高齢者が増えたことをヒシヒシと感じる昨今。かく言う自分も、いよいよ高齢者の入り口に立つことになった。自分の姿を客観的に見ることはできないから、老いに対する判断は他者の姿を見聞きすることから生じるものになる。とはいえ、誰かの老いの姿がそのまま自分に重なるわけではないが。
老いることを拒絶する気持ちはないが、自分さえも認識できなくなる状況には陥りたくないものだと、誰もが思うだろう。それは決して自分の意のままにはならないことがわかっていても。
今になってやっと、有吉佐和子:著 「恍惚の人」を読んだ。積読のまま長年放置していた本だ。映画化されて、茂造老人を 森繁久弥 が演じた姿が脳裏に焼き付いていて、読書中は茂造の姿・動きが森繁久弥の演技と重なった。それだけ森繁久弥演じた茂造が名演技だったということだろう。
出版されるとたちまちに世間の論議を呼んだ「恍惚の人」だったような気がするが、40年前の本書の内容がそのまま現代の老人問題であり続けていることに衝撃を受けている。
否々、まったく同じだとは言えないなあ・・・それは介護する側の変化に見られる。 「恍惚の人」の作中では、嫁の昭子の犠牲的介護で茂造は看送られるのだが、最近は違うような気がする。老夫婦二人暮らしや一人暮らしが増加し、老々介護の悲劇や孤独な死が頻繁に報じられるようになっている。
私自身は老人介護を経験しないままに自分が介護を受ける立場になり得る年齢にさしかかってきた。いま考えることは(なるべく傍の手を煩わせないような終末を迎えたい)ということ。これは時代を問わない高齢者の願い。
ま、どれほど考えても手の打ちようのないことなので、深くは突き詰めずに、いまこうしてものごとの識別可能な時間を大切にしながら日々を送るしかなさそうだ。
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