昨日(7月2日)、「きたやまおさむ コンサート 有終の美 in Tokyo」のために、東京五反田にある ゆうぽうとホールに行って来ました。
ザ・フォーク・クルセダーズ時代の歌「帰って来たヨッパライ」、私は高校時代に聴いていました。あのままグループで歌手活動をされるのかと思っていましたが、北山修さんは精神医学の世界へ専念される道を選ばれました。「なぜ精神医学だったのか?」という問いに、今回購入したDVD【あの素晴らしい愛について?日本人のこころはどこへいった?】の中で「作詞を手がけているうちに人のこころへの探求に関心が強まった」といったコメントをされています。言葉を紡ぐ作業というのは、人の行動とこころに向き合わなければできない作業だと私も感じています。だから、北山修さんの発言にはうなずけるように思います。
最近、月曜日の夜にはNHK FMで「きたやまおさむのレクチャー&ミュージック」を聴くことにしている私は、精神科医 北山修先生 の姿勢に共感を覚えています。まあ、そんなこともあって、今回のコンサート情報が目にとまり、早々にチケットを手に入れたのです。
ここ数年は劇場やホールに足を運ぶこともなかったのに、未曾有の大震災が起きた今年は、どうした偶然か、芝居「ゴドーを待ちながら」を観ましたし、北山修さんのコンサートにも行きました。そのことが私の精神安定に大きな役割を果たしてくれたことを、いま実感しています。
何をもってしても埋められないようなこころの空白が生じている今こそ、芸術が果たす役割の必要性を感じます。そう、(人はパンのみにて生くる者に非ず)なのです。いまの私には、飢えをしのぐパンは、なんとか手に入っています。しかし、満たされないこころの空白を、どんな言葉で埋めようかと、生きている実感の薄い日々を過ごしています。
明日からは、北山先生推奨の生き方「ダラダラ生きていようじゃありませんか」を胸に、いまここに居ることだけを大切に、過ごしていこうと思っています。生き急ぐこともないし、生に執着することもなく。
こんばんは。
きたやまおさむ氏のコンサートがあったのですね。生で同氏の音楽を聴いたことはなかったことに気づきました。北山修教授のお話を生で聴いたことはあるのですが…
レクチャー・アンド・ミュージックは毎週聴いています。音楽もたくさん流れるので,レクチャーの時間はさほど長くないのでしょうが,確かになかなか興味深いお話が聞けますね。
震災後,というだけではないのでしょう。また,ときどき「震災後」で言い訳しているのでは,と思うこともあります。まとまりがなくて,すみません。いろいろあって,少し落ち着かない なも でした。
なもさんも「レクチャー&ミュージック」を聴いていらっしゃいましたか。
>「震災後」で言い訳しているのでは
いまは、誰しもが、つらい気持ちを震災と結びつけてしまう傾向はあると思います。自然界に発生する事象は人間の思惑や意思に関係なく生じるのだから、すべてをそこに結び付けるのは、ある意味【逃げ】かもしれないですね。このコンサートでは、震災に関する話題は極力避けられたように思いますが・・・
きたやまおさむさんは、ご自身が精神科医になられたために、かつてのお仲間 加藤和彦さんの死に関して質問されたり発言することを求められることが多いのではないかな?と感じます。音楽に関する活動をされる限り、そっとしておきたい記憶を表ざたにして語らねばならない、それはきっと辛いことでしょうね。だから、タイトル「有終の美」の言葉通り、きたやまおさむコンサートは今回が最後になるのではないか、と感じました。