テレビ朝日開局50周年記念ドラマ「刑事一代?平塚八兵衛の昭和事件史」を、昨日今日と二夜にわたり見た。
あの事件もこの事件も、全て記憶にあるものばかり。世間を騒がせた大事件だった。その時、平塚八兵衛さんはどのように考え、どのように動いていたのか。ドラマに出てくる事件が事実であっただけに、迫真の見ごたえ。俳優もそれぞれ実力派揃いで圧倒された。(近ごろのテレビドラマは・・・つまらん)と思い始めたところだっただけに、まだこんな作品がつくれるんだ、しかもテレビドラマで、との感想。
しかし、三億円事件を境に、発生する事件と八兵衛さんの捜査手法にギャップが生じ始める場面は、ある意味、こちらまで寂しくなった。
「いつの時代も事件を起こすのは"人間"だ!」と怒鳴る八兵衛さんに、
「その"人間"が変わったんです」と、八兵衛さんを説得するかのように語りかける後輩刑事。
そうか、時代はこうして世代交代して行くのか・・・
しかし、私の心のある部分では(変わってはいけない部分まで変わってしまって良いのだろうか? 無自覚無意識のうちに手放してしまったものがありはしないだろうか?)と問いかけている。
それは『人情』。人情は一方的に与えるだけのものではなく、受け止められて初めて意味を成す。知識や教養という意味とは違う豊かな内面(幸不幸にかかわらず)が無ければ、与えることも与えられたことにも気づかないであろう。
『人情』の通じない社会は寂しく息苦しいだけ。解決困難な犯罪はますます増えると予測してしまう。 実に空恐ろしく、虚しく、辛い。
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