北京オリンピック真っ最中。テレビの前で、日本代表選手の結果に一喜一憂の日々。喜びを体中で表現する選手あり、表情も変えずに淡々とインタビューに応える選手あり。心底から選手たちの健闘に敬意を表したい。
ここまでの道のりはさぞ、厳しく遠いものだったろう。目標が定まっているだけに、片手間の練習では達成できないだろうから、日々の節制は通常ならぬものがあったろうと想像する。
選手たちの闘う姿をテレビ観戦しながら、我が身を振り返ってみる。そこには、さまざまな困難に負けそうになっている自分がいてゾッとした。
「勝つことは克つこと」と、オリンピックの選手たちから教えられているような気がして、思わず背筋を伸ばしてみる。
さあ! もう一度ゼロから出直しのつもりで、自分だけの金メダル目指して頑張るとしよう。
オリンピック、結果はそれぞれ違うけど、選手の皆様本当にお疲れさまでした、って思います。
やわらちゃんの「家事は手抜きはしなかった。」という言葉に、手抜きだらけの自分が恥ずかしいです。
「ぼちぼち」なんて言葉に自分をごまかして全力投球から逃げているだけだよなあ、って反省です。
私ももう少し背中を伸ばして歩く事にします。
この度のオリンピックは、始まるまでは「どうなることやら・・・」と思っていましたが、次々に種目が消化されて行き、各選手の活躍が伝えられるようになると、それなりに応援にも熱が入ってきました。
これからマラソンが楽しみです。野口みずき選手の欠場は残念でしたが、他の選手の活躍に期待したいところです。
やわらちゃんには、世間の期待という重圧と試合の緊張というストレスから解放されて、しばらくノンビリと“ママ”に専念させてあげたいような気がします。お子さんのためにも、ね。
露草さん,お久しぶりです。
スポーツのイベントには,どちらかと言うと冷ややかな方なのですが,今回はなぜか結構熱くなっています。特に,ふだん余り関心のない格闘技に見入っています。
谷亮子さんは,確かに偉大な選手なのだろうけれど,さすがにピークは過ぎているのでは。ただ,日本選手権で優勝した人が出場して,どこまでメダルが取れたかというと,又違った議論になるのかも知れません。そもそも,「メダルを取ることだけが目標か?」というお話もあるのでしょうが・・・
北島康介さんはすごい。なも が印象にあるのは,この大舞台まで,例えばスピード社製水着騒ぎでインタビューを受けても,淡々とかわしていたように見えたこと。大舞台の一時点に向けて,集中力を高めようとしていたのかなあと勝手に思っています。
石井慧さんにも感動。あそこまで(公の場で)「どうやってでも勝つ」と言い切った日本の柔道家は,これまでいなかったのでは・・・。自分に言い聞かせる意味もあったのではと感じました。
負けた塚田真希さん,何とかして食らいつこう,負けないようにしようという気迫を感じました。直後のインタビューで,完全に言葉を失っていた。それほど,この一戦にかけていたのだなあと思いました。
吉田沙保里さんも気迫に満ちていた。兎に角強かったけれど,初めから強かったわけではないだろう。「向かうところ敵なし」から,「敵は何をしてでも勝とうとしている」と思い知らされた後,再び対策を講じたのがこの結果か・・・。文字どおり,小躍りして喜んでいる姿,そして,インタビューで,同僚が銀に終わったことや,同郷の野口みずきさんのことに言及していたのが印象的だった。
それにしても,運動選手のみなさん,実にインタビューを受けるのがうまくなったと思う。単に,自分の練習をしているだけでは勝てない。自分の集中力を大事な一戦でピークに持っていくためにも,「言葉で表現し,マスコミや観客を見方にする力」が必要なのかも知れない。
というわけで,露草さんのサイトをお借りして,長々と五輪雑感を書いてしまいました。御容赦ください。
なもさん、私も今回は格闘技に熱を上げました。柔道を観戦しながら、私の中の柔道のイメージと違うことに少なからずのショックを受けました。武士道とまでは言いませんが、日本柔道の潔い勝負とは程遠くなったのでしょうか?一方では、ヨーロッパ騎士道のフェンシングでは日本人の快挙が・・・。いろいろな変化は、時代の移り変わりとして受け入れざるを得ないのでしょうね。
これから楽しみなのはシンクロナイズドスイミング。がんばってほしいところです。
ところで、女子レスリングの伊調姉妹は今大会限りで引退だそうですね。浜口選手はどうなんだろう?お父さんのアニマル浜口さんは「ロンドン、ロンドン!」と叫んでいましたが。
どの種目にも、ますます磨きのかかった後輩選手が育つといいですね。
>武士道とまでは言いませんが、日本柔道の潔い勝負とは程遠くなったのでしょうか?
分かったような口を利くことをお許しいただきたいのですが,狭い地域の中で共有されている価値観を前提として行われていたスポーツを全世界に普及させた途端,「暗黙の了解」などは期待できなくなり,あるのは「ルール」という明文化されたものだけになってしまうのではないでしょうか。
そして,よく言われることですが,勝負の世界のルールとは,しばしば有力な者(勝ちたくてルールを変更するすべを知っている者?)が「勝つ」ために変更されるらしいこと。
文字通り「感動をありがとう」と思っていますので,オリンピックのすべてを否定するような気はありませんが,米NBCの都合で競技時間が決まっているらしいこと,主催国も開会式などでインチキとも言われそうな演出をしたらしいこと等など,いろいろ陰の部分もあるのでしょう。
またまた「分かったような口を利く」なも ですが,運動選手は(というか,あらゆる分野における「演技者」は),「踊らされている」ことを知りつつ,上手に「パトロン」を利用して,自分のやりたいことが最大限できるようにするしかないのだろうなと・・・。
なも 自身,「なりふり構わず」というのが苦手で,体裁ばかり気にして結果を出せないことせいかも知れませんが,石井慧さんが徹底して示そうとした態度は(もちろん,「練習量と体力では誰にも負けない」という自信に裏打ちされているのでしょうが),むしろさわやかに感じたのでした。
なもさん、ご説明ありがとうございました。
スポーツに疎い私は、たまに、こうした話題の世界大会があると熱心に観戦する「にわか応援団」なので、昔ながらの感覚で考えてしまいます。なるほどねぇ?・・・微妙に変化する雰囲気やルールの現状に合わせて行くために、一番苦労しているのは現役選手自身なのでしょうね。
そういう意味で、応援団としては素直に「楽しませてくれてありがとう」ですね。
今回のオリンピックに限らず、「暗黙の了解」を期待していては行動が厳しい時代になったのかなあ・・・という感じがしているこのごろです。
>しばしば有力な者(勝ちたくてルールを変更するすべを知っている者?)が「勝つ」ために変更されるらしいこと。
なるほど、なるほど、どうもそうらしい・・・ですね。参考になりました。