「平成三十年」上・下    堺屋太一:著    朝日文庫


 2002年刊行だというから、今から17年前に日本の未来を予測して書かれた小説。著者はあとがきで「あって欲しくない日本」を予測して書いたと述べている。平成三十年を過ぎて、現実は著者が予測した通り、あるいは、それ以上の困難な事態に直面していると感じる。


 この小説に描かれた日本の直面するであろう困難には世界情勢の変化と暴力的自然現象が含まれず、日本人の倫理観や学力の低下という状態も予測の範囲外だったのだろう。


 それにしても、約二十年前にこれほどの予測ができたということには驚きを禁じ得ない。堺屋太一という人物の見識に脱帽。


 先日スマホでニュースダイジェストをチェックしていたら、現在の世界に広がりつつある傾向を「今だけ、カネだけ、自分だけ」と表現している識者の言葉に出会った。この短い表現の中に簡潔に的確に言いえて妙だと感じ入ってしまった。



 今や平成三十年は通り越し、元号も変わり、時代は混乱の極みを生じている。「今だけ、カネだけ、自分だけ」という考えが人類を滅ぼす端緒になりそうな危惧を感じる。人類が未来永劫に永久不滅な生物であらねばならないとは思わないし、思ってもどうしようもないことだけれど、もう少し直近の未来を予測して、バランスを保ちながら衝突を回避するような動きにならないものだろうか・・・


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台風15号に翻弄された一日

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 9月9日、千葉県に台風15号が上陸した。コンパクトな台風だという予報だったので、それほど前もって心配しなかった。しかも、8日は一日中晴天だったので、すっかり油断してしまった。


 9日は月曜日で、勤務先マンションの可燃ごみ出しの日。これまでの悪天候でも、何とか勤務地にたどり着けていたので、今回も何とかなると思っていた。清掃兼務の管理人としては、週に二回の可燃ごみ出しはどうしても終えておきたい業務。ごみ置き場をスッキリさせれば、火・水の休務日を安心して休める。勤務地の清掃事務所に問い合わせて、午後2時ごろまでにごみ出しすれば回収するということを確認した。


 どっこい、今回は「そうは問屋が卸さなかった」。勤務日の起床時間4時頃、暴風雨が最強で、台風の中心が我が家上空を通過するという最悪の展開。


 今回の台風襲来予報を受けて、早々に関東地方全域の交通機関は計画運休や運転遅延を報じていた。大体の鉄道が当初の予定では、台風通過時間を見込んで午前8時ごろからの運航開始を告げていた。


 前職は市内勤務だったので、どんな緊急状況でも移動に関しては何とかなってきた。最悪の場合は徒歩で移動も可能だった。しかし、3本の路線を乗り継いで片道1時間半の通勤の今は電車が動いてくれないとどうしようもできない。


 とりあえず、運行開始予定と報じられた午前8時前に最寄り駅まで行ってみた。改札は黄色いビニールテープで入場禁止になっていて、その手前には、私同様に運転開始を期待する大勢の人が集まっていた。


 1時間くらいは待っても、どうしても出勤しようと思ったが、2駅先の駅近くで線路ののり面の崩れが見つかり、原状回復するのは午前11時ごろになるという。いったん帰宅して出直すことにした。


 午前11時前に再び最寄り駅に行った。電車はまだ動いていない。念のため駅の係員に乗り継ぎ路線の運行情報を確認すると、こちらは午後になるという。とりあえず、バスで一駅先の大きな駅に移動してみた。こちらは改札から駅外まで乗車を待つ人で長蛇の列が左右二方向に発生している。しかも、どんどんその列が長くなっている。


 一駅先の駅に移動してまもなく電車が動き出した。すでに正午過ぎ。それまでも何度も所属長に連絡して、なんとか出社しようとしていたのだが、出社は諦めて、代わりに翌日勤務することにした。


 その後、テレビ報道で、今回の台風15号による千葉県の被害の甚大さを知ることになった。その大きなものが停電と断水。2日経った今日も復旧されていない。我が家近辺の地域は停電も断水もしていないのだが、千葉県の広い範囲で不自由な思いをしている大勢の人々がいるという。


 年々気象状況が荒々しくなってきている。人間の力では太刀打ちできないのが自然現象。謙虚に用心深く過ごすしかないのだろう。



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 医師の数も減少傾向で大病院や総合病院が大変だと言われるようになったころ、「かかりつけ医」として近所の開業医を決めておくことが推奨されていた。最近そうした呼びかけを目にする機会が少なくなったが、みんなどうしているのだろう?


 私は今のところ医療のお世話になるような不具合がないので、いざとなった時にどこを受診するか決まっていない。人間ドックで指摘された項目も、経過観察を決め込んでいる。


 そんな私でも「かかりつけ医」と言える医師を決めているのは歯科医と眼科医。歯は子どもの頃から弱くて、どこに引っ越ししても、まず探すのは歯科医だった。眼科のほうは、年齢的なことからくる変化の経過観察として通院に便利な近くの眼科医を選んだ。


 昨年暮れ、歯茎が痛くて食事にも支障が出るようになり、久しぶりに歯科医に駆け込んだ。原因は歯槽膿漏によるもので、歯茎の掃除をしてもらって症状は軽快した。と、安どしていたら、先月から別の場所の歯茎が同様の状態になり、再び駆け込むことに。そこはもう一ヶ月以上完治しないでいる。齢だなあ・・・覚悟はしているものの、食事が思うように噛めないことは不自由だ。


 それにしても、その歯科医には、もう30年近くお世話になっているわけで、先日、先生の顔を見たらずいぶんお年を召しておられて・・・かかりつけ医も高齢者の仲間入りなのだという当たり前のことを再認識した。診断や治療にも衰えを感じたのは気のせいだろうか?


 「かかりつけ医」というけれど、医者も人の子で老いていくのは至極当然。その兆候を感じた時、患者としてはどの時点で別の医師に変わるかという問題も生じている。



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無気力が加速

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 語る傍から誤解が生じ、語りの本意を無視して恣意的に状況を捻じ曲げ、行き着く先への見通しも設定しないままに感情をむき出しにする・・・そんな雰囲気が国内外に満ち溢れてきた昨今、もはや言葉を発する意欲さえ日々そぎ落とされているような気がする。


 無気力


 この絶望感を抱えたまま、どこまで耐えられるだろうか・・・

 いま幅を利かせているのは暴力的な言動のみ。

 私は、この混沌とした状況に心身がついて行けない。

 人類が築いた社会が、人類の愚行によって破壊されていく時代に生きている。




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 小学校5年生だったか6年生だったか忘れた。何の授業だったかも忘れた。教師の質問は「将来何になりたいですか?」という、子供に対して発するありきたり過ぎる質問だった。

 私はその時考えた。今もなお、その時に考えた自分の思考過程も、朧気ではあるが思い出せる。 本当は「外交官、弁護士、新聞記者・・・」などと答えれば教師の設問意図に沿った答えになっただろう。それは分かっていた。しかし、自分の置かれた家庭環境を考えると、とてもその高みに到達できるような親の支援は無理というのは分かっていた。夢は夢でしかない。

 その時私の頭に浮かんだのは、女児の将来として一番一般的で周囲に受け入れやすい社会的な立ち位置は(主婦)であり(母親)であった。

 当時は仲人を半ば仕事のようにしている人がいて、独身の男女がいればお見合いの設定をして結び付けていて、どんなに出会いの無い男女でも誰かしらと結婚して所帯を持てるものだと思っていた。

 私は変わり者だった。親も兄姉もそのことを悪しざまに本人の前で口にするような無神経さだった。そのせいで、私は到底まっとうに社会人にはなれないものと思い込まされていた。

 女なら誰でも、成人すれば誰かが口利きして嫁入りし、子供ができて家事・育児をする、そんなことが当たり前のように思わされていた時代だった。

 母親なんてその気になれば私でもなれる、そう思ったのは世間知らずの子供の考えだったとわかるのは自分が母親になってからのこと。


 私の「普通の母親になりたいです」という答えに教師や同級生がどんな反応を示したかは思い出せないが、こう答えたことは私の記憶に鮮明に焼き付いている。

 
 長じて、私は辛うじて妻になり母になった。妻であった期間は短かったが、もう40余年ものあいだ母親を続けている。今は、何を考えるにも子供のことが第一というれっきとした「普通の母親」。


 小学校高学年の時、あまりにも陳腐な教師の質問に対して、奇をてらって答えた「普通の母親になる」という答えが、今は現実の姿となっているのだ。そして、これが一番幸せな私のあり方だったのだとしみじみ振り返ることがある。



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 今日は有給休暇で仕事は休み。NHKの『あの人に会いたい』という番組が好きなのだが、仕事を続けている関係で、ここ数年は見ることができないでいる。

 今朝は堺屋太一さん。その番組の中で紹介された著書『平成三十年』に興味を覚えた。副題が(何もしなかった日本)。根本的なところでの変化を避ける傾向があると感じているこの国を、堺屋さんはどのように分析しているのだろう。読んでみたい。


 【団塊の世代】という言葉も堺屋さんの造語だと聞くが、社会を分析して未来を予測する鋭い先見性を持った堺屋太一という人物。今の時代をどう予測していたのかが『平成三十年』から教えてもらえるかもしれない。


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やはり読書がしたいので

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 本は読みたい、でも、書店で手に取ってみるとどれも結構な値段がする。それに、読み終わった後をどうするかが大問題。それでなくても片付けなくてはならない物だらけの身辺に、読後の書籍が積み重なるのは気が重い。一時、図書館利用を決心したが、読みたいと思った本がすぐに読めるわけではないし、返却日という制限があるし、ということで、長らく読書と遠ざかっている。


 通勤の乗り換え駅ホームに駅ナカの書店がある。行けば必ず読みたい本が目に付いて買ってしまうので寄り付かないようにしていた。しかし、今年に入って二度、その書店で本を買った。

 その中の一冊が 伊集院静の「いろいろあった人へ」(講談社)。かつて書籍広告で目にして、一度読んでみたいと思っていた。著者の奥様で女優だった夏目雅子さんは、私の亡夫と同じ白血病で、同時期に入院闘病をされていた。

 書店でパラパラとページをめくると、その当時の思い出が書かれている。買ってしまった

 いま読み始めたばかりだけれど、三十余年前に、伊集院静さんも同じような思いで看病されていたのだなあと思うと当時の記憶が甦って感慨深い。




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 一昨日のこと、私が降車する最寄り停留所の直前でバスが停まり、後続車も連なって渋滞気味になっていた。見ると、前方に1台の車がハザードランプを点滅させて通行の妨げになる真ん中に停まっている。そのせいで、片側一車線の県道の通行が上り下りの譲り合いになって渋滞が発生している。

 すぐ横にドラッグストアやスーパーマーケットがあるので、高齢者が家族の買物が終わるのを待っているのかなと思って、横を通り過ぎる時にバスの窓から見下ろした。「それにしてもなんて非常識な駐車!」と思わずにはいられなかった。


 バスを降りて買物をと歩き始めたが何か変な雰囲気。スーパーマーケットの駐車場警備の男性に「あの車、どうしたのですか?」と問うと「もう1時間くらいあそこに停まっているんだよ。声をかけても、故障したから車が動かないとかあっちに行けとか言うんだ」との話。警備員によると酒の匂いもするようだと言う。「警察に通報しましたか?」と訊くと、自分の立場ではそれはできないからということだった。


 こんな時に知らん顔して通り過ぎることができないのが私の性分。近づいて行くと、何人もの通行人がその状況に興味津々で目をやりながらも何もせずに去って行ってしまう。車の横にあるドラッグストアの人が車の近くにいたので「どなたか警察に連絡しましたがか?」と訊ねたところ連絡していないという。夕方の5時過ぎだし、これでは渋滞はますますひどくなるだろうし、事故が発生しないとも限らないしと、私が警察に電話をかけることにした。


 その車、よく見ると前方をぶつけた痕跡がある。運転席に座る高齢男性は、車内が暑いのかときどき汗を拭いながらじっと前方を見つめている。何か事態の解決に動く気配がない。認知に問題ありかもと思ったが、近づいて「大丈夫ですか?」と話しかけても、身振り手振りで「ほっといてくれ、あっちへいってくれ」という意思表示をする。


 少し時間がかかったが、3人の警察官がやって来た。警察官が声をかけると高齢男性は素直に応じていた。さすが制服の威力!と妙なところに感心したりして・・・その車は他県から来たらしいのだけれど、警察官とのやり取りで彼は自分が今どこにいるのかの状況把握ができていない風だった。エンジンをかけるように促されてもスムーズに対応できていないようだった。警察官は3人でその車を押してスーパーマーケットの駐車場に移動させ、そこで事情聴取を始めていた。

 警察官が到着してすぐに私はその場を離れたので、その後の経過は知らない。



 これからは、こんなことに頻繁に遭遇するようになるのだろうなあ・・・と思った。



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 高齢者が運転する車の大事故が相次いで報道されている。いずれも被害者が若年層であることがなんとも痛ましくてしょうがない。


 「若い者には負けない」などとどんなに見栄を張ろうと、人間の体には使ってきた年数だけの衰えが生じていることは否定ができない。毎日鍛えて体はまあまあでも反射能力や判断力は確実に落ちている。


 義父は高齢までバイクに乗っていた。その理由が「足が思うように運べないからバイクで移動するほうが早くて楽なんだ」ということだった。歩行はヨチヨチとしかできないのにバイクに乗っている義父を見て、危うさを感じずにはいられなかった。もう40年前の話だ。幸いにも大きな事故は起こさなかったけれど、その考え方自体が間違っているように感じた。


 年を取ったらそのように、自らの衰えを直視し、受け入れ、諦めることの選択を適切に行わなければ傍にとんでもない迷惑をかけてしまう。


 人間がどのように生を終(しま)っていくのかを身をもって見せること、先行く者が後に続く者たちに遺せる最後のプレゼントは、財産でも社会的地位でもなく、「人生の終い方」こそが一番大事であり貧富の差なく誰にでも用意できる贈りものだと思う。


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素人診断だけれど

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 テレビで健康番組が多く放送されるようになって、素人ながらいろいろな病気の情報や知識が増えてきた。ふだんあまり病気とは縁のない私は、それらの放送をほとんど聞き流している。


 昔、医者にかかった患者が開口一番「先生、風邪ひいちゃってね、薬くださいよ」と言う人が多いという話が取り上げられて、医者が診断を下す前に自分で病名を決めるなという、真剣な話だったか笑い話だったか、いまだに覚えている。


 それを真に受けて、私はそれ以来医者にかかるときには「風邪ひきました」とは言えなくなった。症状を何とか説明しなければとアレコレ考える。これがまた、面倒くさくて、つい医者に行くのを避けてしまう。まあ、これまでは何とかほったらかしで治癒してきたから良かったものの、高齢者になったこれからは、どんな病気が命取りになるかも知れず、何かあったら医者の診断が必要なのだし・・・と、先日(ひっさーーーしぶりーーー)に受診して無駄骨に終わったわけ。

 でも、後で考えると風邪ってどうしようもできないらしいからしょうがないと言えばしょうがない。

 その後(先週の火曜日から)ずっと咳・痰・胸部不快感が継続するので、この症状にどんな名前がつくのだろうと考えていて、2-3日前にふっと『気管支炎』という言葉が浮かんできた。インターネットで調べると、まさに自分の現在の症状のままだ。


 はあーーー、気管支炎だったんだと、素人診断をつけて納得している。


 幸い、症状は軽くなり、気分は回復しているので、このまま無理をせずに過ごすしかないだろう。


 ネットの情報によると気管支炎はウィルスの感染によるらしい。心当たりあり。毎日の通勤電車の中で遠慮なく「ゲホッ!ゲホッ!」と咳き込まれる度に逃げ出したくなるが降車まで逃げられないことが多い。毎日人ごみの中に出かけていけば、こんなこともある。


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