最近のわたし

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 自宅近くに新しい店がオープンしました。

 私としては初めて耳にする店名のドラッグストアとこれまで小規模店舗でやっていたご近所の食品店が同居しています。この食品店は地元歴が長くて、シニアには人気のお店です。新店舗に入って品揃えが充実ししたようです。

 先週から3回利用してみました。往復するのに坂道は無いし、道路も歩道が歩けるし、私としては利用しやすい店ですが、仕事のある日は自宅を通り越して行かなければならないので、買い物に行くとしたら仕事が休みの日になりそうです。

 2階建ての店舗ですが、今後2階は医療機関の誘致を予定しているようです。さっそく3月には内科医院が開業するようなので、ホームドクターと言える医院が決まっていない私としては期待しています。



 いまだ働いている私としては駅近くにお店があってほしいのですが、なかなか開発が進まない状態で長い年月が過ぎています。ここにきてやっと、駅近くの整備工事が始まりました。こちらもどんな風になるのか楽しみです。電車から降りて夕食の買物ができる日が早く訪れないかと心待ちにしているところです。


 最近は集中力が散漫になってきたのか、なかなか身の回りのあれこれに着手できない日が多く、仕事に行くことを第一として、その他は最低限の対応で済ませ、ひたすら気力・体力の温存に努める日々です。



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年に一度の多連休が終わり

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 普段は、余程のことがない限り通常業務日は休まないことにして一年半余が過ぎました。お蔭さまで、病気で休むこともなく日数を過ごしています。

 そんな一年の日々で数日の連休が取れるのが年末年始です。とは言え、清掃兼務の私は、年明けの各種ごみの分別処理や整理整頓が大仕事なのですが・・・とにかく、ユックリお正月を過ごしました。

 明日から仕事です。



 さあ、今年はどんな一年になるのだろう。どんな一年を過ごせるのだろう。



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情けない初夢

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 元日の夜に見る夢が初夢だそうで・・・見ました、覚えています。なんとも情けない夢でした。



 私は旅行が好きではありません。特に団体旅行が苦手です。それは、集合時間に遅れないように身支度と荷造りすることが要領よくこなせないからです。だからといって、待ってくれたり声をかけてくれる人はありません。それは私の人付き合いの悪さもありますが、それを自覚して、無理になんとかお付き合いに参加しても、仲間として扱ってくれる人はいなかったというのが事実です。


 そんな我が人生のほろ苦い思い出である団体旅行の荷造り場面が、なんと"初夢"だったのです。やはり置いてけぼりを食らっていました。私は焦って荷造りしていました。でも、「これは夢よね」と分かっていたので、頭のどこかでは余裕を持ちながら眺めていたという次第です。


 「一富士二鷹三茄子」なんて、都合よく初夢に見る人がいるのでしょうか。


 情けない私の人生を象徴するような初夢ですが、それでも良いではないかと思うのです。だって、今現在、現実の自分の人生を懸命に生きているという自負はあるのですから。


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「ドナルド・トランプの危険な兆候・・・精神科医たちは敢えて告発する」

バンディ・リー:編  村松太郎:訳  岩波書店:発行

表表紙カバーの折り返し部分に書かれた要約を引用します。

(ここから引用)

リフトン、ハーマンなど著名人を筆頭に、全米から精神科医・心理学者たちが、名門イェール大学で行われた会合に参集。直接診断していない有名人に対して精神科医がコメントを出してはいけないという倫理規定を超えて、トランプ大統領の数多くの言動がアメリカの政治社会および国際政治、そして個々人にもたらす危険を多面的に論じた。専門家の社会的責任とは何かをも問う、話題沸騰の書。

(引用終わり)



 トランプ氏が大統領に就任してからというもの、毎日のようにメディアは彼のツィッターを追いかけて報道し、あれこれと解説したり理解しようとしたりしていましたが、ここにきて、そうした報道がめっきり減ったような気がしています。その内容のあまりの唐突さ異常さに反応や対応を保留せざるを得なくなったのでしょうか。


 アメリカの精神・心理関係の専門家には「ゴールドウォータールール」という制約があって、社会的に名前が出た人に関して、自分が直接診断していないにもかかわらず軽々しく見解を述べることはできないというルールのようです。

 にもかかわらず、専門家集団がそれぞれの見解を文章にして出版したのは、トランプ氏によってもたらされるかもしれない危険がアメリカのみならず全世界・全地球に及ぶかもしれないという差し迫った危惧から、というより、恐怖からのような気がします。


 トランプ氏は、裕福な不動産業成功者の家に生まれました。生まれながらにして財産や社会的名誉に恵まれた2世3世が社会の中でそれなりの地位を当然のごとく手に入れるという例は数知れずです。

 初代にはそれなりの辛酸があったでしょうが、2世3世となるとどうでしょう。日本の有名人にも当てはまりそうですが、そうした生まれながらに「持てる人」たちは、他人からお追従で異見を言われることは少ないのではないでしょうか?ということは、「おぼっちゃん・おじょうちゃん」がトップの椅子に座れば「自分が一番」のナルシストになるのは目に見えています。ナルシストには他者に共感し思いやるという感情は欠落するでしょうね。だって、幼い頃から周囲が気を遣ってくれるのが当たり前の環境で育つのですから。

 まあ、そうした環境で育つことが、人間として幸せかどうかは別のはなしですが・・・

 たぶん、トランプ氏は、誰の意見にも従わないでしょう。自らの判断も、その時々の衝動で下しているのでしょう。少し政治に関心を持った一般人よりもっとまずい"子供"のような判断力で動いているようにしか見えません。そのことに、今や世界中の人々が気付き始めていると思います。でも、どうしようもないのです。彼の愚行を阻止できるのはアメリカ合衆国の国民だけなのです。



 トランプ氏のツィッターは深夜に更新されることが多いようですが、この本の中に書いてあるように「トランプ氏の午前三時のツィッターで地球消滅のボタンが押されないように」祈るばかりのこのごろです。


 かつてのキューバ危機の際、ホワイトハウスの執務室で、重圧に耐えて独り思考しているケネディ大統領の背中を写した写真がありました。いま改めて懐かしく思い出します。




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 直近で伝えられるニュースは多くが金銭がらみ、そのどれもが如何に自分の懐を肥やせるかという話が目立ちます。どんなに真面目に懸命に働いても「なお我が暮らし楽にならざり」の立場から見ると「そんなに金をかき集めて何がしたいの?」という感想しか持てません。


 人が生きていくのにどれほどの物やお金が必要なのかを考えると、ニュースで取り上げられる金額は必要以上でしょう、としか思えません。子孫に遺す為だとしても、最初から労せずして遺産をガッポリ手にした子孫が、働かずとも贅沢な暮らしをできたなら、ろくな人生は送らないでしょうに。


 何か間違っていませんか・・・と問いかけたくなるようなことが多すぎるような気がします。


 「ノブレス・オブリージュ」、地位ある人や富貴者はその富や地位に応じた社会貢献の責を負うという意識を期待するほうがバカなのでしょう。


 ただただ虚しさばかりが募ります。



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 最近小学校低学年から英語を必修にしようという動きがあるようですが、私はとても賛成できません。


 言語は文化や社会活動の表現手段であり、表現する内容への自覚(アイデンティティー)も育っていない子ども達に一律に外国語を教えて実用に耐える会話ができるのであろうかという危惧を感じるからです。しかも、ネイティブの教師に「自分は日本人に英語を教えているのだ」という語学指導者としての自覚がどれほどあるかも疑わしいと思っています。


 また、英語授業を補助する小学校教師に、英語圏や外国への理解や知識がどれほどあるかも問われると思います。なぜなら、担任日本人教師はネイティブ講師と児童との間を取り持つ役割が求められるのは必至だからです。


 幼い頃から外国語を学ばせるのなら、その言語が使用される世界の国々の文化や思考と日本との違いも同時並行で教えながら、子供たちの(アイデンティティー)は日本という国にあることを自覚させながらの授業でなくてはならないのではないでしょうか。


 安易な外国人労働者の受け入れ拡大や英語授業の低年齢化等、中央政府はこの国をどうしようと考えているのかと首をかしげたくなるような施策が次々に打ち出されて不安が募ります。



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 会社からの指示で人間ドックを受診してきました。


 67歳になって、今更人間ドックなんてと思う気持ちはありますが、これもお給料のうちだと思い、足取りは重く向かった次第です。


 何が面倒って、検体の採取に始まって予約日時に指定の場所に出向く労力を考えると、結構手間暇かかることなのです。若い正社員と同じ福利厚生にしていただくのは有難いことではありますが、もうどうでもいいや・・・という感覚でもあります。


 指定の健診クリニックが、ちょっと住まいから離れた場所にあるので、今回は胃部のバリウム健診をキャンセルしてもらいました。下剤を服用しての帰路1時間半はキツイものがありそうでしたので。


 もう過去に何度も健診を受けていますが、このごろ思うのは、育児と一緒で、人間は機嫌よく動いていられれば大丈夫なんではないかなということです。どこかに不調があれば、きっと不快感を自覚するわけで、そうなってから医者を受診すれば良いわけで・・・なんて言うと、反論の嵐は轟々なんでしょうね。長生きが必ずしも幸せではないことに気づいているのは、長生きしている高齢者本人でしょうね。

 人間ドックの義務化には、国民の「健康で幸せな生活」を純粋に祈る配慮だけではなさそうな思惑も見え隠れすると「放っておいてくれ」とも言いたくなる私です。


 こんな悪態がつけるのも、私が現時点で大きな病気を抱えていないからなのでしょうが。




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「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」   新井紀子:著    東洋経済新報社:発行


 非常に興味深く、また、共感を覚える内容で一気に読み終えました。

 著者は数学者。文章は論理的でありながら平易で、専門知識の無い読者にも分かり易く書かれていると思います。最近、社会的に関心が高まっている「AI(人工知能)と人間の役割分担」に関して解説されています。


 近年、AI の開発と導入が進むと人間の仕事は奪われてしまうのではないかという話が、人々の不安をかき立てるように語られるようになりました。根拠の説明はできないのですが、私はそうした見方に疑問を感じていました。この本を読んで、私の疑問は半分外れ半分当たりだったと思っているところです。


 半分当たりというのは、やはり、AI には、複雑怪奇で予測のつかない人事の全てを独自に判断はできないということです。半分外れというのは、それでも、数学の言葉に置き換え得る(プログラミングできる)内容に関しては AI は人間に劣らぬ習熟を達成するということでした。

 では、プログラミングされた AI に仕事を奪われてしまう人間には何が欠けているのかというところで「教科書が読めない子どもたち」という観点につながっていきます。


 最近、現場の教師たちが子供たちの読解力低下に危機感を覚えることが増えているのだそうです。それはスマホに頼り過ぎだからとか読書をしないからという問題ではないと著者が指摘します。そして、この読解力を養うことこそ AI と人間を差別化し生き残りを可能にする能力なのだと訴えています。


 この本の書評を的確にまとめられるほどの力が私には無いので伝わりにくいかもしれませんが、とにかく、 AI と共存することは避けられない今後の社会で、自分が人間として人間らしく生きる為には何が大事なのかを示唆してくれていると思います。著者はそこまで言及はしていませんが、私は、ますますコミュニケーションが成立しづらくなっている現代社会の根本原因にも関連していることかもしれないと感じました。


 本が売れないと言われる今日において、2018年2月第1刷発行で5月には第9刷を発行しているという事実は、いかにこの本が読まれているかという証でしょう。¥1,500-です。このごろは本が高くて、なかなか自分では買わないのですが、著者の今後の活動にも寄与することがわかり、この本には対価を払う価値があったと思います。



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毎晩「ラジオ深夜便」をかけたまま寝ています。

最近、夜中、約1時間おきくらいに目覚めることが多く、

そんな時にラジオから昔懐かしいアナウンサーの落ち着いた声が聞こえると、安心して再び眠りにつけるからです。

担当のアナウンサーのお名前を聞くと、かつて夜7時台のニュースで聞いたお名前が多く、お顔も浮かんできます。



その「ラジオ深夜便」で、今朝、いま小児科学会会長をなさっている高橋先生がお話をされていました。

途中からだったのですが、母子家庭で育ったご自分がお母様から受けた教えのことや

ご自分自身の子育てのお話に触れておられる部分に聞き入ってしまいました。


一番共感を覚えて印象に残ったのは

「子どもが生まれることは『おめでたいこと』でなくてはならない」ということと、

「小児科の先生方は、患者である子どもたちやその母親に対してとても礼儀正しい」ということでした。



今、少子化ということで政府は女性に子供を産むことを"期待"しています。

女性たちは産むためには環境を整備し、子育てにかかる経済的な安定を保障せよと要求します。

そんな報道に触れながら、私は、何か違和感と不快感を感じていました。

そこには、子供の誕生を無条件に受け入れて喜ぶ【心】が欠けているように思うのです。

いま社会で「子ども」を話題にしている人たちは、

それぞれの子どもを一人の人間として尊重する視点に欠けていると思います。

それぞれの子供の幸せより、親である自分の幸せや国家の行く末への思惑が先行しているように感じてなりません。



そうした私の思いが、ラジオ深夜便で高橋先生が的確に言葉にされていて共感を覚えたのです。



私は夫を早くに亡くし、子育てに支援を頼めない環境で二人の男の子を独りで育てて三十数年になります。

振り返れば、我ながら背筋に冷や汗が流れるような危うい子育てだったと後悔ばかりです。


それでも、子供たちが中年に差し掛かった今になってやっと「子育ては楽しいこと」なのだと気づいたのです。

同じような話をされる高齢女性は、昔から数多く出会ってきました。

自分が子育て真っ最中だったころには実感できなかったその内容が、今なら解るということでしょう。



国の行く末が危ういから子供を増やせとか、自分の老後や財を託すために子供が必要だというのでは、

誕生の前から重責を担わされる子供が可哀そうです。

子どもは生まれてきただけで喜ばれ、生まれながらに備わった個性のままに受け入れられる存在だと思います。

これは、むかし子どもだった自分が「そうでありたかった」と思っていることです。


子どもがどう成長し、彼らの人生で何をしていくのかは、周囲があらかじめ決めるのではなく、

生まれた子どもの個性や意思を尊重しながら、その都度、柔軟に必要とされる支援をするのが

先に生まれた者たちが、後に生まれる人たちに対して向き合う時に求められる姿勢だと思います。


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最近は忙しくて、映画を観に行くこともなかったのですが、今日は「華氏119」を観に行きました。

娯楽というより、観なくてはいけないという気持ちが私を動かしたのです。


今日はアメリカの中間選挙の結果が出る日です。

この映画は、アメリカの中間選挙と深い関連性を含んだ内容です。


中間選挙の結果が出る前に映画を観たわけですが、

映画の中に何度も出てきた女性たちが下院に選出されています。



昼過ぎには中間選挙の結果が次々に報じられたのですが、

下院ではトランプ大統領の所属する共和党ではなく民主党が多数を得たことが判明しました。

この結果を導いたのはアメリカの若年層の行動だということですが。

「華氏119」を観た後で現実の選挙結果を知ると、よりハッキリとその経緯がわかります。

果たして今後、日本の若年層がこのような行動力で国に影響を及ぼすことができるでしょうか?



映画の中に何度も出てきた女性が下院に当選したようです。

下院の歴史で最年少の当選を果たした女性、イスラム教徒で当選した女性、

いずれも映画の中で取り上げられていました。



特に印象に残った「金が選挙の結果を決める」という言葉が一回だけ出てきました。

このところ私の身近なところで、能力はないのに選挙資金が用意できるというだけの理由で

選挙に当選して政治家になる事例を何件か見て苦々しく思っているのです。

世界中どこも同じなのだということですね。



「華氏119」の監督マイケル・ムーアは、トランプ大統領のやり方をナチスのヒトラーに重ねて表現していました。



日本も気を付けなくてはなりません。

私が若いころから見てきた経験では、

戦後日本はアメリカの数年数十年後に同じような社会現象を起こしているような気がするからです。

もう遅いかもしれない。

でも、本来はアメリカと異なる文化をもっていた日本を、今更だれが思い起こさせてくれるのでしょうか。



今日の映画の観客は、私と同年配の団塊前後世代だとお見受けしました。

皆さんどのように感じておられたでしょうね。



日本では報じられないアメリカの動きを知るために、ぜひ観るべき作品だと思いました。



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