今回の浅薄な政治ショーの流れを傍観しながら、改めて歴史と風土と文化が育む人間性について考えた。

北朝鮮のやり口に関しては「あヽ、やっぱり」と思い、トランプに関しては典型的アメリカ人だな・・・と感じた。



近年、日本人の語学音痴が盛んに議論されて、幼いころから英語教育をという風潮に流れていることを危惧している。

大切なのは語学が達者になることではなく、

「自分は何者か、どこに立脚して活動しているのか」をしっかり自覚して主張を持てることが先。

そうでなくては、相手からは、コツンと手ごたえを感じない掴みどころのない対象として切り捨てやすい存在になってしまうことは必至。



トランプにとっては、何でもにこやかに応じて、しかも、Noを言わないバカ正直な日本人より、

自己主張をハッキリして要求も明確な朝鮮人の方に(彼の好きな)交渉の面白みを感じていたのかもしれない。



語学を学ぶには、それと並行して、その言語が成立して運用されている社会の歴史・文化も把握しておかねば、

相手の態度や発言の真意に気付くことはできない。

「はじめまして、こんにちは」の日常会話ができるだけでは言語習得したとは言えないのである。

生半可に外国語を操れると自認する日本人に危うさと拒否感を抱くのは、

決して自分が語学を自在に操れないやっかみではなく、

多くの場合、同胞を見下す無国籍な優越感を感じるからなのだ。


今回のアメリカと北朝鮮の茶番劇政治ショーを見ながら、そんなことを感じている。


それにしても、日本人は交渉事が下手なんだなあ・・・

日本よ、日本語で構わないから、もっと声高に自己主張せよ!!

世界が、日本が何を言っているのか知りたくて日本語の主張を翻訳せざるを得ないくらいに。



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大げさな政治ショーが注目を集めた一日。


識者のさまざまな解説が次々に為されている。


一庶民の直感と一笑に付されることを覚悟して言えば、

「してやられた」のではないかとしか思えない結果。


「大愚」と「大賢」・・・さて、どちらが「大愚」でどちらが「大賢」だったのか。


権力を託して良い人物と、権力を握らせてはいけない人物に関して、

国内国外問わず、大いに考えさせられる事象が相次いでいる。



考えるだに空恐ろしい事態が、いま進行しているような気がしてならない。



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労働力が不足ということで、女性や高齢者や外国人の労働力が期待されているらしい。

私も、定年再雇用を経て、異業種であるマンション管理員の仕事に高齢者として雇用された一人である。

幸い、体が丈夫なので日々の現場仕事はなんとかこなせている。

ただ、長年勤めた前職とは異なる業種なので、事務処理の仕方や社内の組織に関しては疎い。

一物件に一人配置で清掃兼務の管理員なので、誰かと相談しながらということはできない。

現場配置の前に丁寧な研修はしていただいたけれど、机上の研修は即実践で活かせるものではない。



マンション管理員になって満一年が過ぎたが、現場仕事は何とかこなせるようになった。

一方で、居住者と支店をつなぐ事務処理に関しては、未だに戸惑いが多い。

近年は個人情報保護の観点からの注意事項が多く、取扱いに苦慮している。

(どこまで聞けるのか)(どうやって聞くのか)から始まって、居住者から預かった個人情報を支店へ繋ぐ方法など、

わからないことだらけだ。



支店のオフィスワークの若い人たちとの交流は少なく、誰にいつどう連絡・報告・問い合わせして良いのかも把握できていない。


居住者の書類上の手続きが発生して初めて、アタフタとあちこちに電話しながら手続き方法を覚えている。

その都度、支店の事務の若い女性に電話で叱られたり呆れられたりする。

おまけにそれらの作業は殆どパソコンでやることを求められる。

これがまた高齢者にとっては厄介なことだと雇用者側に理解されているだろうか?

高齢雇用者に関わる若い社員は、自分のコミュニケーションの仕方を検討したり反省したり改善しようとする努力をしているだろうか?



つくづく感じることは、

外国人や高齢者を即戦の労働力として当てにしようとするのなら、もう少し働かせ方に工夫しなければだめだということ。

定年後の高齢者は、社会経験があるので、それなりに筋道立てた説明を受ければ物分りは早い人が多いと思われる。

ただ、デスクワークの若い人たちが、そうした高齢者の特徴を把握しているかどうかに疑問を感じる。



というわけで、私は現在、デスクワークの若い女性やマネージャーに鼻であしらわれたり叱責されたりしながら仕事をしている。


まあ、そこはそれ、人生経験豊富な者としては、別段腹立ちを覚えることは少ないが、

困ったなあ・・・と一瞬たじろぐことはある。

あれも経験、これも経験、「永遠の今」を繰り返しつつ人生の下り坂をソロリソロリと下りつつあるこのごろ。



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西田哲学と日本の思想

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「西田幾多郎  無私の思想と日本人」  佐伯啓思:著    新潮新書


通勤の車中で少しずつ読み進み、読み終えた。

子供の頃から本に線引きしたり書き込んだりすることは極力避けてきたが、

今回は、鉛筆を片手に気になった部分に線を引き、空白にメモ書きしながら読んだ。



そんな中に、強く納得できる部分があったので、その部分を書き残しておこう。



以下、引用 (p.238 ~ p.239)


(前略)

 確かに西田哲学には毒があります。落とし穴というべきかもしれません。あるところで西田自身も書いていますが、自分の書いたものは超のつく難解だといわれる。だけど、どこかある箇所をつかんでそれが分かれば、すべて分かってくるような種類のものだ、というのです。面白い自己評ですが、まさにそのとおりで、突然、ある時に分かったような気がするのです。すると、あのわけのわからない文章で、彼が何をいおうとしているのかが、読み解けるような気になってきます。そのうち、あの文体でしか書けないのではと思えてくるのです。秘境的で謎解き的なところがある。


 しかしそうなると、この「分かった」という境地の方が大事になって、それを説明する必要がなくなってしまうのです。もしも分かりやすく説明できるのなら、そもそも西田自身があんな文章は書かなかったでしょうから。


 しかしこのことは思いのほか大事なことで、これは西田哲学の抱えた問題というより、「日本の思想」そのものにかかわることなのではないでしょうか。日本に西洋のような体系的な哲学や思想が生まれなかったひとつの理由は、日本では「ものを考えること」が、世界の認識へ向かうのではなく、多くの場合、人が生きる上でのある境地を目指すものだったからです。仏教の教えや禅もそうであり、かなり学問的な儒教にもその傾向があり、俳句や和歌もその方向を向きました。


(後略)      ーーーー 引用文内、太字処理と下線は、本ブログ筆者による ーーー



なんとなくでも「分かった」と思えば、それを改めて文字化する必要はないともいえる。

ただ、なぜ私がブログに日々の思索を公表するかといえば、

同様に思索する誰かに私の表現した言葉のどこかが引っ掛かかり、

「そうなんだぁ」ということになればとのささやかな想いからに他ならない。



とにかく、西田幾多郎が「哲学の小道」を歩きながら思索を繰り返したように、

誰もが自分自身の「哲学の小道」を歩むしかないのだと、そう思う。



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最近不快に感じた言葉2つ

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ひとつは、先日保釈された「森友問題」の発端である籠池(夫)さんの記者会見最後の言葉だ。

曰く「これから活躍させてもらいますよ」とニタリ。



もうひとつは、日大アメフトの問題で、

試合終了直後に週刊誌記者からインタビューを受けた内田前監督が、

違反タックルをさせた選手に関して「これが内田のやり方。(彼を)まだまだいじめますよ」と平然と答えた言葉。



ナニ考えてんだろう、このおっさん二人。

品性も教養も清潔さも感じられない。

このような連中が【金・権力・地位】を握ってしまうのか。

今の時代に成りあがる人間の共通項は『厚顔無恥』だと、つくづく思う。




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残念な育児だと思う

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前記事の母親に対する私の想いは「残念な育児をしているなあ」ということ。

子供が無邪気で素直だと見受けられるだけに、尚更、母親の対応に残念を感じている。



最近の若い人たちは、人間関係に余計な波風を立てないための言葉の使い方を知らなさすぎる。

それは、彼らの親の育児や躾の問題もあるし、本人自身がこれまでの社会経験から何を学ぼうとしてきたかという問題もある。



下の記事に関して言えば、子供が一生懸命管理人と話をしたがっている気持ちを尊重し、

管理人という社会人にでも礼を失しないようにし、かつ、自分の尊厳をも保とうとするならば、

「管理人さん、うちの子がうるさく話しかけてごめんなさいね。いつもお世話さまです。」

「さ、○○ちゃん、管理人さんはお仕事で忙しいんだから邪魔しないようにしようね。」

とでも諭してその場を離れるように促せばよいのではないかと、私は思う。

そうした言葉かけをすることで、子供も、他人に話しかける内容やタイミングなどを学ぶものではなかろうか。



このごろは、いたるところで見かける若い(昔に比べれば年齢は高いが)

親たちが子供に社会性を考えた躾をしているのを見ることが少なくなった。

体が大きいだけで、やっていることや考えていることは彼らの子供と同じレベルではないかとさえ思える。



母親である自分が軽蔑している管理人に対してさえ、我が子は曇りの無い目でコミュニケーションを求めている。

その「他人を職業や見かけで差別しない純粋な心」に感動して、我が子から学ぼうとするなら、

その関係は単なる "育児" に終わらず "育自" にもなるはずなのに・・・と思うと残念だ。




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差別的扱いには慣れている

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マンション管理員になって1年が過ぎた。

昨年の今頃はアタフタしていて、この仕事が続けられるだろうかという不安の日々だった。



仕事を始めて間もないころ、

「管理人なんかに挨拶しなくて良い」と幼児の手を引っ張った若い母親がいたように覚えている。

もともと人の顔や名前を覚えることに関心が無い性格の私だし、

不慣れな仕事をこなすのに懸命だったこともあり、それがどの居住者だったのか定かではなかった。

最初から差別的扱いへの覚悟はできていたので、「まあそんなものよね・・・」と受け流した。


1年が過ぎ、居住者の顔が見分けられるようになって、

あの時「管理人なんか・・・」と言ったのはこの母親だったのではないかと思う人物がいる。

子供たちは、当時2歳と5歳くらいの丸刈りの兄弟で、とても人懐っこい二人。

新しい管理人に興味津々のようで、出会う度に話しかけてきていた。

その都度、若い母親から「やめて○○くん、行くよ!」と声が飛ぶ。

母親は決して私に挨拶はしない。



今年、お兄ちゃんが小学校に入学した。

お兄ちゃんは、母親の「管理人に話しかけないで」という言いつけが理解できたのか、私に話しかけることはしなくなったが、

3・4歳くらいの弟くんの方は、まだ理解できないようで、無邪気に話しかけてくる。

その都度、母親は、あからさまに子どもの手を強く引っ張って私の前から連れ去る。


父親の方も、家庭内で奥さんに言われているのか、私に対する差別的態度を隠さない。



私は、決して恵まれた人生とは言えないめぐり合わせの中で、必死にもがき足掻いて生きてきたので、差別的扱いには慣れっこ。

むしろ、そうした境遇にあったお蔭で、人の態度や言葉の真贋を見分ける直感が身についたと思う。



絶対価値観で物事を考えれば、安易に対象に優劣はつけられないが、

相対的価値観で考えるから優劣が生じて劣なものを遠ざけようとしたくなる。

その相対的価値観は、いつまでも満たされることの無い渇望を生み出して自らを苦しめることになる。



その母親の態度を見ていると、子供たちの今の無邪気さがどう変化して行くのだろうと考えてしまう。



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佐伯啓思:著 「西田幾多郎   無私の思想と日本人

4年前に出版された上掲の本を読んでいるのだが、

混乱する今日の世界情勢を理解する一助になりそうな箇所が多々ある。

その中で、まさに今にあてはまりそうな部分をメモしておこうと思う。




以下、引用---------(p.170 ~ p.171)


(前略)



 そしてここには実は大変に大きなしかも深刻な矛盾が含まれていました。そのことは後述しますが、さしあたり西田が次のように述べていることに注意しておいてください。



 今日、科学の発展による機械工業の勃興と資本主義の発展によって世界は一つになった。しかし、このような機械工業や経済システムが世界を一つにするということは、それを動かす主体が世界を支配することを意味している。それは一つの国家が主体として世界を支配することであり、帝国主義である。この時、一つの国が大国で強国なら一時的に平和は保たれるかもしれないが、それは他の国を奴隷化することだ。これは人間を堕落させることであり、また戦争を引き起こすだろう、と西田はいう。



 妙にこの21世紀のグローバリズムの時代を予感させる議論ではないでしょうか。80年前よりもはるかにわれわれは、ITを含む機械技術と市場経済によって画一的で単一の世界へと編入されてしまいました。それを支配するのはこの技術と市場経済を制覇するもので、現下ではアメリカが覇権をもっているのです。また、だからこそ、技術と市場をめぐる覇権競争が生じているのです。




(後略)


-----------引用終わり



80年前、既に西田は現代の世界の混乱を予見していた。

そして、佐伯啓思も、現在進行形の米朝のかけひきの混乱が発生する4年前にこの本を出版している。



まさに「温故知新」、過去の思索に学ぶべきことは多そうだ。



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今、私が勤務するマンションがある地域には若い夫婦が多く、

この少子化の時代に幼児や赤ちゃんがとても多い。

そして目立つのは、若い父親がとてもよく子供の面倒をみていること。

休日ともなると、子供を遊びに連れ出す若いパパさんたちの姿が多く見られる。

ママさんたちは、その間に息抜きや掃除などをしているのかしら・・・と思って眺めている。



とにかく、若い男性が家事・育児を日常的に担っていることは確かなようだ。



けれども、彼らのそうした様子を眺めながら、

私には一抹の疑念とも不安とも言える感情が拭えないでいる。

何だろう、この感情は。



若い両親は、そして、その子供たちは、幸せなのだろうか?

社会に貢献できるような思いやりとか情愛溢れる常識を備えた子供たちは育っているのだろうか?

若い人が多い街ということは、ある意味、この国の将来を形成する人たちの空気だと言える。

だからこそ、この国の行く末を楽観できないものを感じてしまうのは、私の老婆心だろうか。


日々、何かが違うと思いつつ、既に、この時代という舞台には出る幕の無くなった私には、

ただ"眺める"ことしかできないのだが。




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雨ニモマケズ

   ---雨の日は困ることが多いけれど負けずにがんばっている。


風ニモマケズ

   ---風は、本当に苦手。だけど、負けていない。


雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ

   ---雪の日も、暑さの夏も、やらなければならないことはやっている。


丈夫ナカラダヲモチ

   ---これはバッチリ!!


慾ハナク

   ---これもまあまあ。欲は少ない方だったし、齢とってからはますます欲は無くなっている。


決シテ瞋ラズ

   ---昔は、よく怒っていた。子供が幼いころは特に(汗)。今は怒りの炎は燃え上がらない。


イツモシヅカニワラッテヰル

   ---子供の頃は「無駄に笑わない」ことを自分に課していた。最近は、笑顔ができるようになった。


一日ニ玄米四合ト

   ---米四合は、さすがに食べない。昔の食欲も、今は無い。


味噌ト少シノ野菜ヲタベ

   ---調理に味噌は、あまり使わない。野菜は努めて多く摂っている。


アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ

   ---子供の頃から、自分を勘定に入れることを忘れてばかり。他人に利用されることが多い。それで良いのかも・・・


ヨクミキキシワカリ

   ---昔は「早とちり」で「せっかち」だった。一方、見聞を広めて理解しようとする気持ちは、昔も今も同じ。


ソシテワスレズ

   ---これは未だに(というより、ますます)、過ぎてしまったことは、ほとんど忘れている。


野原ノ松ノ林ノ陰ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ

   ---「野原の松の林の陰の小さな茅葺の小屋」に住みたいけれど、現実は「コンクリートの箱の中」


東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ

   ---このような気持ちは常に持ち続けてきたけれど、現実は自分の周辺のことで手一杯。


ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ

   ---自然の力を畏怖しながらも、あるがままを受け入れていると思う。


ミンナニデクノボートヨバレ

  ---面と向かって言葉にされずとも、ひそかにそう思われているだろう。


ホメラレモセズ

   ---褒められることとは縁遠い。たまに褒められると、ムズムズして心地悪い。


クニモサレズ

   ---苦にしている人がいるかもしれない。できるだけ目立たぬように存在を消して生きるようにと心がけている。


サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

   ---そういう者に、私もなりたい。



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