そのレジ袋、有料ですから

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 こんなに雨脚が強くなるなら、頭からスッポリ被(かぶ)るレインコートを持って出れば良かった。それに、折り畳み傘ではなく普通の雨傘にすれば良かった。そんな後悔をつぶやきながら用事を片づけてきた。




 バス停から自宅までの間にあるスーパーで夕食の買物。ここは全ての商品の値段が少々高め。でも、日用品まで揃う自宅近くのスーパーはここしかないので、たいがいの物はここで買っている。


 レジ清算を終えて袋詰め用の台が空くのを待っていると、年の頃70代と思しき男性が箱詰め中。選んだ段ボール箱がやや小さかったと見え、入りきらない食材が4-5点台の上に転がっている。と、そのおじさん、ツカツカと店員のいないレジの横に吊り下げられているレジ袋を一枚めくり取った。ちょうどその瞬間、(この人どうするんだろう。早く台を空けてほしいんだけど・・・)と思いつつ視線を投げかけていた私と目があった。目元に浮かべている笑みを見ると、さほど悪気なくレジ袋を失敬しようとしている様子。


 見て見ぬふりをすべきか、それとも・・・と一瞬思ったけれど、こうした時に黙って見過ごせないのが私の性分。とはいえ、相手に恥をかかせてもいけないので、いつも声の大きい私にしては控えめな音量で「あのお、ここはレジ袋有料ですよ。3円です」とおじさんの顔を見ながらつぶやいた。


 ま、その直後に彼がレジに行って支払いを済ませたので何事も無く終わったけれど、ちかごろは滅多なことで他人の行為を注意したりはしない方が良い時代。私のように "黙っておれない症候群" の人間にとっては、人なかを出歩くと(ひと言言いたい、でもやめとかなくっちゃ)という場面に多々遭遇し、喉(声帯)がムズ痒くなることしばしば。



 おにいさん(いや、おじさん?それとも、おじいさん?)、ごめんね。私と目があったのが運のつきと諦めてね。



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この一文は書き残しておこう

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 心に残る一文も、時と共に消滅してしまうのが口惜しい。多々ある共感の文章を全て記憶に留めることはできないが、「これだけは」という一文をここに書き残しておこう。





 個人の思想が頽廃すると、社会も国も頽廃するということが、今、まざまざと見えてきましたね。


『老残のたしなみ  日々是上機嫌』   佐藤愛子:著   集英社:刊

最終ページ 最後の一行より



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 物の見方や考え方、生きる姿勢などが近しい人の本は時も場所も構わずに貪るように読みたくなる。異論にも耳を傾けるという知性ある寛容さが失われた現代は日常の会話にも神経を尖らせて相手の顔色を窺わねばならない。そんな状況の時代に、私は再び紙媒体の本に心のよりどころを見出している。


 このところは佐藤愛子さんの本がお気に入り。次々に読みたいと思うが、近くにある図書館分館には彼女の著作が少ないので、今日は図書館本館を覗いて来ようと思っている。

 さて、今日までに読み終えた3冊を記しておこう。




『母  住井すゑ』   増田れい子:著   海竜社:刊

『それからどうなる  我が老後』   佐藤愛子:著   文藝春秋:刊

『老残のたしなみ  日々是上機嫌』   佐藤愛子:著   集英社:刊 





 いずれの本も非常に集中して読み終えた。ということは、内容に共感する度合いが高かったということ。



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空き家解体を見て思うこと

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 日常的に利用しているスーパーの傍にあった空き家が、先日、解体された。横を通るたびに気になっていた家だ。そのほかにも気になる家はある。年々歳々そうした「主を失った戸建て住宅」らしき家が目につくようになった。



 (・・・らしき)というのは、実際に実情をだれかに聞いて確認したわけではなく、普段の通りすがりに外観から受ける印象をもとに想像しているだけの話だから。



 郵便受けにチラシが溜まって雨ざらしになっている。いつ見ても雨戸が開いていることがない。玄関の扉につる草が絡みついては枯れて、また翌年に絡みつきを繰り返している。人が暮らしていない住宅というのは朽ちるのが早いそうだ。それが外観からでも廃墟と化したことを見て取れる根拠でもある。


 先週の土曜日と日曜日に近所の公園で盆踊り大会があった。


 この地に住んで37年になるが、我が家がここに住む前からそこで賑やかに行われてきた地域の盆踊り大会である。子供が幼いころは連れて行ったものだ。その頃はまだ狭い公園の敷地ながら屋台も4-5店舗がテントを並べて、子供たちがワクワクしながら品定めやゲームをしていた。夜の闇の中、薄暗い灯りの下で見る夜店の品は子供にとってはとてつもなく魅力的で夢を誘うものだった。


 その盆踊り大会も一時期、人が集まらなくなって寂しい時もあったが、先週はそれなりに夕方から公園に向かって歩く浴衣姿の子どもと父母や祖父母らしき姿を見かけたのでまあまあの人出だったのではないかと推測する。おそらく、30年前に子供だった人たちが結婚して子供ができて実家に遊びに来ていたのだろう。


 盆踊りと空き家、何の関係もないように見えるが人口減少という観点から考えると興味深い。


 これまでの30年間のこの地の変遷を見て、これからの30年を考えさせられた。


 これから空き家の解体はどんどん進んでいくだろう。その跡地はどうなるのか?そこに家を新築して売り出しても、そもそも地域に暮らす人間が減っているのだから住居の需要も減少するだろう。それなのに、私の移動範囲で見かける限り、いまだに人の住まいが新たに建設されている。これらの新築物件が全て埋まり、これから30年間人が住み続けるという保証がどこにあるのだろう。


 そろそろ人口減少と独り身世帯の増加を念頭に置いた街づくりや福祉のあり方を模索し実行に移すことを急ぐ時期ではないのかと。


 いまのところ私が30年後の地域に関して想像できるのは、行き交う人々の姿もまばらな閑散とした光景なのだ・・・     そのころは、あるテレビ番組の決め台詞のように「いました、いました今日の第一村人ハッケーーーン!」などということが日本中のどこでも日常になっているかもしれない。


 まあ、それもこれも事の成り行き。あるがまま、なるべくしてなるようになるとしか言いようがない。歴史を振り返れば、人で溢れかえっていた時代ばかりではないのだから、はるか昔の社会のあり方に学ぶことがあるかもしれない。



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最近のテレビは面白くないという人や意見が増えているようだ。

かつて暇つぶしはもっぱらテレビだった私も、最近では未練なくリモコンでオフにしてしまうようになった。


番組の内容に魅力がないのもあるが、出てくる人間の面(つら)に気分が害されるのだ。


ドラマやバラエティなどは端っから筋書があって演じていると思うので面の良し悪しはそれなりの役割ともいえる。

とはいえ、ドラマは内容も演技も薄っぺらくなり、

情報バラエティやクイズなどは同じような内容が繰り返されるので飽きてきた。


少し前までは、ニュースだけは視るようにしていたが、それも最近は嫌気がさしている。

なぜかというと、最近頻繁にニュースネタになる政治家のさもしい面(つら)を見るに堪えないから。

こうした輩が選挙で選ばれて税金から報酬を得て威張り散らしているのかと思うと、

日本という国の衰退の現状を思い知らされるようで、

社会の底辺を這いずり回っている虫けらとしては、

これまで必死の思いで保ってきたささやかな生きる気力さえ喪失してしまいそうだ。



今夜はお盆の時季ということなのか、複数のテレビ局が昭和の歌を特集していたが、

あのころ映画やテレビに出ていた人たちに比べると、最近は人相が悪くなったよなあ日本人・・・




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昨日は管理室から締め出されるという大失敗をしたわけですが、

その前に支社長と支店長の巡回視察の対応を済ませてホッとしていた気の緩みもありました。


「支社長が行きますよ」という知らせを受けたのは金曜日。

まあ、高評価を得て認められたいなんて欲は持っていないので、あるがままを見てもらいました。

それが無事に終わってホッとしての終業体勢だったので、いつもと違う意識状態だったのかなと反省しました。



このところ曇天続きで気持ちがイマイチの日が続きます。

集中力散漫なことが多いのです。

常時ソワソワして落ち着きません。

こんな時は失敗が多くなるのでしょう。


気を付けなくっちゃ・・・と思いつつも、今もソワソワの虫がモゾモゾしています。

暑さも暑し、一日も早く天候が安定してほしいと願うこのごろです。



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昨日は大失敗しでかしました。


研修段階から口を酸っぱくして「管理室の鍵は肌身離さずに」と言われていたのに、

うっかり室内に鍵を置いたまま住民対応のために部屋を出てしまいました。

カチャッという音を聞いても締め出されたことに気付くまでにしばらくの間が・・・



それは(業務終了しました)表示を受付窓口に出してカーテンを閉めて日報を書いていた時のこと。

管理室のインターホンがピンポーンとなるではありませんか。

一瞬ためらいましたよ。

だって、もう退勤時間過ぎてるし、早く帰りたいと焦っている時でしたから。

カーテン越しにロビーを確かめると、そこに小学校2-3年くらいの女の子が。

「どうしたの?」と訊ねると「部屋の鍵が(なんとかかんとか)」言っています。

家の人が不在で自分も鍵が無くて家に帰れないのかと可哀想に思い、

話だけでも聞いてあげようと管理室を出たのが間違いのもとでした。


いま振り返ると窓口対応で済ませれば良かったのですよねぇ・・・

だって勤務時間は過ぎていたのだし、家の鍵を持っていないと言われても何もしてやれないのだから。



というわけで、

締め出されたことに気付いた私は青くなりましたよ(汗)。

が、幸いなことに歩いて2-3分のところに同じ会社のマンションがあり、日頃から交流があったのでそこに走りました。
その同じ会社のマンションの管理室の電話を借りて支店にSOS。

結局、支店からマネージャーが鍵をもって来てくれることに。

マネージャー到着までかれこれ2時間。

午後3時退勤が午後5時にやっと担当マンションを後にすることができました。



で、焦って近隣マンションと自分の担当マンションを行ったり来たりする間に、

管理室締め出されの原因になった女の子と数回すれ違いました。

「あれからどうなった?」と訊くと、

習い事に行こうと家を出たらしいのですが鍵が無いことに気付いて引き返そうとしていたらしい。

話が要領を得ません。

その鍵は家のドアに差し込んだままだったということで彼女の事態は解決したらしいのです。

鍵を差しっぱなしにしたのは母親らしい。

話の経緯は掴みきれませんでしたが、どうやら大したことではなかったようです。


とにかく、その時の私はそれどころじゃあない!!



夏休みになると子供がらみのわけのわからないことに振り回される危険性は予測していたのですが、昨日は迂闊でした。


相手が子供だからって、もう金輪際"情け心"に流されないぞ!と強く心に決めた私です。

あーーーあっ、焦ったぁーーー。


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ずーーっと、ここ近年、耳障りで嫌な言葉づかいがあります。

それは「(何々を得ない)」という言葉の発音に関してです。


民放の若いアナウンサーでの勘違いは、どうしようもなく多いのですが、

絶対に間違えてほしくないNHKのアナウンサーでさえ、たまにあるという状況は如何なものか、と。

「・・・・・を、得ない」は「・・・・・おえない」ではありません。」

「・・・を得ない」は、「・・・を」の部分で述べられる行動の他に選択肢がないだろうという意味で伝わりますが、

「・・・おえない」では、そもそも日本語として意味をなさないのです。


例えば、

「行かざるを得ない」は「行くしかないだろう」という意味で伝わりますが、

「行かざる、おえない」では、何の意味かわかりません。


確かに、言葉は時代とともに変化するのは分かります。

でも、最近の日本語の乱れは、乱れ以上の混乱を呈してはいませんか?


私には、ちゃんとした母国語を使えない事が知能劣化と重なってしょうがないのですが。



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薄汚い時代の訪れ

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自分は、

「清廉潔白」を全き善として信奉するほどの乙女でもないが、

次第に「薄汚く」なって行く時代の変化には嫌気がさしつつあるこのごろ。



生ごみや排泄物などの汚さとは異なる汚さ。

表面を綺麗そうに取り繕いながら、じつは・・・という汚さ。




このいやらしく卑しい時代の到来はどうしたことか。

次第に神経が尖り、心が荒んで行きつつあることを自覚する日々。



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このところ、佐藤愛子さんのエッセイを読んで、大いに溜飲を下げている私。

いま読んでいるのは「たしなみなし 不敵雑記」 (2001年11月30日発行 集英社)。


一章のボリュームが短くて、大変読みやすい。


いちいち共感・同感の繰り返しなのだが、その中で今読み終えた部分をここに転載して残しておこう。


・・・転載始め・・・



「前代未聞」



ー前文略ー



 つまりこれら前代未聞の現象は日本人が前代未聞の人間に変質して来たということであろう。考えることをやめた日本人、責任も恥もない日本人が「前代未聞」の事件を引き起こしている。そのうちこの機械文明の中では「前代未聞」がすべて「普通」のことになってしまい、責任や恥のために刻苦する人間は「前代未聞」の人といわれるようになるのかも。    (p.105)



・・・転載終わり・・・



佐藤先生、

この本の刊行から16年経て、いまや事態は先生のおっしゃる通りになっています。

(責任や恥のために刻苦する人間)なんて、誰も評価しません。

(何もしないことでうまく世渡りする人間)こそあらまほしき姿だという認識(すらしてないかも)の時代です。


先生や私が念頭に浮かべる "常識" とは、もはや現代の "常識" ではなくなっているようです。

というか・・・

そもそも今の時代に、「語らずとも誰もが理解している」という意味での "常識" なんてないのかもしれません。


私の頭にはしょっちゅう「混沌」という言葉が浮かんでくるこのごろです。




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