雨ニモマケズ

   ---雨の日は困ることが多いけれど負けずにがんばっている。


風ニモマケズ

   ---風は、本当に苦手。だけど、負けていない。


雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ

   ---雪の日も、暑さの夏も、やらなければならないことはやっている。


丈夫ナカラダヲモチ

   ---これはバッチリ!!


慾ハナク

   ---これもまあまあ。欲は少ない方だったし、齢とってからはますます欲は無くなっている。


決シテ瞋ラズ

   ---昔は、よく怒っていた。子供が幼いころは特に(汗)。今は怒りの炎は燃え上がらない。


イツモシヅカニワラッテヰル

   ---子供の頃は「無駄に笑わない」ことを自分に課していた。最近は、笑顔ができるようになった。


一日ニ玄米四合ト

   ---米四合は、さすがに食べない。昔の食欲も、今は無い。


味噌ト少シノ野菜ヲタベ

   ---調理に味噌は、あまり使わない。野菜は努めて多く摂っている。


アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ

   ---子供の頃から、自分を勘定に入れることを忘れてばかり。他人に利用されることが多い。それで良いのかも・・・


ヨクミキキシワカリ

   ---昔は「早とちり」で「せっかち」だった。一方、見聞を広めて理解しようとする気持ちは、昔も今も同じ。


ソシテワスレズ

   ---これは未だに(というより、ますます)、過ぎてしまったことは、ほとんど忘れている。


野原ノ松ノ林ノ陰ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ

   ---「野原の松の林の陰の小さな茅葺の小屋」に住みたいけれど、現実は「コンクリートの箱の中」


東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ

   ---このような気持ちは常に持ち続けてきたけれど、現実は自分の周辺のことで手一杯。


ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ

   ---自然の力を畏怖しながらも、あるがままを受け入れていると思う。


ミンナニデクノボートヨバレ

  ---面と向かって言葉にされずとも、ひそかにそう思われているだろう。


ホメラレモセズ

   ---褒められることとは縁遠い。たまに褒められると、ムズムズして心地悪い。


クニモサレズ

   ---苦にしている人がいるかもしれない。できるだけ目立たぬように存在を消して生きるようにと心がけている。


サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

   ---そういう者に、私もなりたい。



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「無私」ということ

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日本に唯一の哲学と言われる西田幾多郎を取り上げた佐伯啓思の本を読んでいる。

西田幾多郎の著作そのものは、時代の隔たりもあり、なかなか難しくて途中挫折してしまったのだが、

こうして読み解いて解説してもらうと、なんとなく伝わってくるものがある。



「無私」、西田哲学の背骨を為す考え方。

「我思うゆえに我あり」と考えたデカルトと対比して述べられている。

それはすなわち、西洋の哲学と西田が日本という風土から生み出した哲学との違いだという。


「我思う・・・」というからには、まず、「私」がいることが前提で思考が組み立てられる。

しかし、西田の思想は主体である自分と客体である環境との偶然の出会いで経験が生じ、

そこで自分の中に生まれる何らかの思考・感情の動きが「私」を成立させるという。

つまり、経験以前に「私」は無い。

これが「無私」。


今、読み進むほどに味わい深い読書をしている。


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先日のBS日テレ「深層ニュース」でーーーおひとりさまーーーの問題を取り上げていた。

その場に、コメンテーターとして呼ばれていた女性識者の言葉の中に出てきたのが「孤独」と「個独」の言葉。

「孤独」は、人とのつながりを持てずに孤立して寂しい状態とし、

「個独」は、人とつながることを、あえて求めず、一人行動や暮らしを楽しんでいる状態、

のような違いで語られていると受け止めた。



なるほどね。

とすると、現在までの私の(独りが好き)傾向は「個独」ということになりそうだ。



最近は「おひとりさま」という言葉が盛んに使われていて、

そういう行動傾向の人間にとっては色々と社会的活動において楽な面も増えてきた。



その専門家は、「個独」に固執していると、将来、「孤独」に移行する可能性もあると警告していた。

まあ、それも人によりけりでしょうが・・・



この回の女性コメンテーターの話には、あまり共感も新味も覚えなかったことを記しておこう。



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いま、再び哲学を

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先日、養老孟司さんの「遺言」という本を買った時に一緒に買い求めた本がある。

「西田幾多郎 無私の思想と日本人」 佐伯啓思:著 新潮新書



哲学というと、何か小難しい学問だと敬遠されることが多いが、実は違う。

如何に生きるかを考えること、すなわち哲学であり、

全ての人は生きている以上自覚せずとも日々哲学を体現していると言える。



では、哲学者として知られる著名人の著作に何を学ぶかというと、思考の道筋を参考にさせてもらうというほどのことだろう。


人はそれぞれゼロからスタートして、その生を終えるまで、

面倒くさくなったからと誰かに人生を肩代わりしてもらうことはできない。

地球上の人類の歴史が何千何万年であろうと、個人の歴史は長くても百年である。

その限られた時間内で「いかに生きるか」と考える時間は限られている。

全ての人が自分の人生観を手探りするしかないのだが、

その暗闇に道しるべの明かりを灯してくれるのが哲学者と呼ばれる先人の言葉の数々であろう。

そこに万人共通の答えがあるわけではない。

それぞれの人が自分の腑に落ちる言葉を選んで自らの生き方の参考にするしかない。

哲学とは、それで良いのだと思う。


「真実一路の道なれど 真実、鈴ふり、思い出す」

まさに今、西田幾多郎の「哲学の道」を(京都にある名所ではなく)頭の中でたどりながら、鈴を振ってみようと思う。



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今朝、TV(羽鳥慎一のモーニングショー)で、錦糸町駅に棲みついた「券売機カラス」の話題が取り上げられていた。

偶然だけれど、ハトのことで私がブログ記事をアップした直後だったので、似たような話題で驚いた。


番組の見解では、「券売機カラス」の人馴れようは、かつて飼育されていた個体ではないかということだった。

飼いきれなくなると野に放つ、これ困るんだなあ・・・


錦糸町のカラスに餌を与える人がいるとも報じていた。

専門家は、餌を与えてはいけないという忠告をしていた。


以前、私が登山をしていた時にも、野生の鹿に自分の食物を与えていた人がいたっけなあ。

「それマズイでしょ」と思って見ていたけれど、野良の生き物に安易に人間の食物を投げ与える人は多い。

こういう人の多くは、誰かに注意されるとムキになって反論したり逆恨みする傾向があるので、

私はあえて注意はしないことにしている。


『野生』ということを考えたこともない人間が増えたんだろうなあと感じる。

そのことが廻り回って自分たち人間の生活に脅威をもたらすことになるかもしれないとは考えもしないのだろう。


一時の自己満足で動物を甘やかすことは、動物にとっても人間にとっても良い結果にならない。


人間も自然の一部であることを自覚して環境に対処する能力が衰えている時代。


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いたるところでハトを見かけるようになった。

私が暮らすマンションにもハト避け対策を施しているお宅を見受けるようになった。

ここ2-3年のことだ。


そう言えば、自宅付近で増加しつつあったカラスの姿が減っているように感じる。

ゴミ集積所のカラス対策が功を奏して住み処を替えたのか、

長らく空きマンションだった隣のマンションに入居が進んで人間が増えたせいなのか。

ハトとカラスを比べれば、カラスのほうが優位であろうから、カラスの減少がハトをはびこらせているのか。


原因はわからない。


私が現在勤務しているマンションでも、ハトが飛来して高い場所からフンを落とす季節になった。

見ていると、バルコニーの端からお尻を出してフンを落とし、その後、向きを変えて下を覗き込んでいるハト。

自分の排泄物を観察しているのか・・・憎たらしいったらない。

柔らかいフンは飛び散り、建物のガラスや壁に飛沫が点々と付く。

それを掃除するのは私の仕事になるが、拭いても拭いても拭いた傍から汚されるのでキリがない。


私がいま仕事に通っている街は街中ハトだらけ。

蹴飛ばそうと思えば蹴飛ばせるくらい、いたってノンビリと人間の足下をヨチヨチ歩きながら何かを啄ばんでいる。

通勤電車の車窓から見る駅のホームは、どの駅にもハト避け対策が為されている。



たぶん、どこの施設でも住宅でも、ハト対策には頭を悩ませていることだろう。



一時、広島平和公園のハトが増えすぎて、一網打尽に捕獲して無人の島に連れて行ったというニュースがあったように思う。

「平和の使者」などというアンタッチャブルな伝説故に誰もハトを害鳥として駆除できないのだろうか。


「焼き鳥にして食べちゃえばいいのに」と動物愛護団体が目を剥いて怒りそうな冗談を言ったら、

「ハトは、バイ菌だらけだから駄目なんですよ」と防鳥対策業者が真面目に答えた。


害獣化するイノシシやクマやアライグマやサルなどの問題もある。

これらの動物や鳥とバランスを保って共存することはできないものだろうか。


たかが鳥と侮っていてはいけない。

かつてヒッチコック監督制作の「鳥」という映画があった。

鳥も増え過ぎれば十分に人間を脅かす存在になり得ると思うこのごろ。



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老化の自覚

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今年になって急速に老化が進んでいるような気がする。


老眼は進んで、ものを見るのが億劫になっている。

指先は鈍感になり、小さな物を掴んだり拾ったりし辛くなっている。

足はまだ大丈夫と思いたかったけれど、それも怪しくなっている。

太ももの後ろに、常時、筋肉痛のような感覚があり、しゃがもうとすると痛むことがある。


無理はできなくなった。


毎日、往復3時間の通勤で、けっこう歩いているし階段の上り下りもしている。

しかし、最近は空席があると座ることが多くなった。


これらの老化症状は受け入れざるを得ない成り行きと覚悟していたつもりだけれど、

やや気持ちは下降気味。


長い間、居住地近辺で暮らしていた私が、ひょんなことから遠方まで通勤することになり、

その途中で大勢の人達を目にすることになった。

このごろ、行き交う老若男女の中から、一人二人と高齢者の姿を消して眺めることがある。

すると、途端にその場がスカスカになるのがわかる。

この国が直面している逆三角形の人口比率の現実が目の前に浮かび上がる。


どうなっていくのかなあ・・・この先。

今日は天気が下り坂。

そのせいかも、楽天的な気分になれないのは。


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ヒトって、そんなに賢くない

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言葉を操るようになって、ヒトは言葉に溺れるようになったのではないか。

言葉で積み重ねた「意識」を操りきれず、自らの巨大な欲望に潰されてしまう人類。


アイツより力を持ちたい、アイツの持っているモノが欲しいから奪ってやろう。

そうした「欲」に突き動かされてものごとを動かしている。

ただそれだけのこと。


昔は、そこに高尚ぶった理屈をこじつけて正当化していたが、

今の世界はまさに、ヒトもサルも大差ないことを証明するような時代の動き。


ヒトって、そんなに賢くない。

そう思う。

ヒトが滅びるとしたら、肥大した自らの欲望を意識が抑制できなくなった時だろう。

地球というサル山のボス争いとその他大勢のサル達の運命や如何に。


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「意識」と「感覚」

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久しぶりに自分で本を買って読んだ。

「遺言。」 養老孟司:著  新潮新書

ヒトは意識で物事を理解しようとして、挙げ句に悩む。

では、動物や植物は、ヒトと同じように命を生きていながら悩むだろうか?

その違いに思いを致せば、いま自分が抱える悩みのある部分は消化できるかもしれない。


周囲を見渡してみるに、ヒトから野生の自覚が失われていることを痛感せずにはいられない昨今。

著者は、豊富な教養と経験と知識から、呟くような文体で警鐘を鳴らしているように感じた。


このような話を語ってくれる人が減少の一途を辿っていることは、ほんとうに寂しいことだ。



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最近は、なるべくお節介なことはしないように、そっとそーっと社会の片隅で息をひそめていようと思うのだけれど、

持って生まれた性分で、他人が困っているのを見ると放っておけない。


今朝は、乗り継いだ電車のシートとシートの継ぎ目に差し込まれて忘れられた携帯電話を見つけてしまった。


土・日も仕事の私は、平日は座らない電車でも空席があると座ることにしている。

私が乗り継ぐ駅は大勢の降車があり、土・日は座れる確率が高い。

しかし、座ろうと思うと、「あそこ」と決めたら突進しないと座れない。

今朝、私が座ろうと突進した座席はシートとシートのつなぎ目。

そのつなぎ目に携帯が差し込まれる形で残されていた。


目についてしまったらしょうがない、私はそれを知らん顔して放置するわけにはいかないのだ。

降車した人の後ろから大声で呼びかけようとも思ったが、思いとどまった。

持ち主を知らない以上、確実に間違いなく持ち主に手渡せるか分からないと思ったからだ。


ちょうど隣に私と同年輩の男性が座り、その人と話し合って、降車駅の駅係員に預けることにした。

その男性も、私と同じ駅で降車だったので、携帯はその方に預けた。


その男性と私が降車するまでの20分くらいの間にも、その携帯には会社から何度も着信がかかって来る。

持ち主は今頃焦っているだろうなあ・・・と思った。


実は以前にも電車の座席に置き忘れられた携帯を届けたことがある。

その時は、一番後ろの車両まで移動して、電車の車掌さんに預けたのだった。



最近では、若い人たちが失いたくない物の筆頭に携帯電話が位置するそうだ。

その割には大切にしていないような気がする。



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