永訣はいつ訪れるか分からないから

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 「人として...」という話を真面目に正面から語ることができた甥が宿泊先のホテルで急死した。詳しいことはまだ分からないが何らかの身体異変で事件ではない。


 この一報を受けて衝撃を受けたのはもちろんだが、「あゝ、もっと話しておけば良かった」という悔いが日に日に募る。



 限りあるのが人の生なら、永訣はいつ訪れても不思議ではない。その心をもって日常を生きなければと改めて思い知らされた。「メメント・モリ」、この言葉の普遍性を再認識している。



 他者も自分も、過大でなくとも穏やかな幸福感を得られるような行動ができたなら...と常に意識しているつもりでも、時には意に反する場面や仕打ちに遭遇してモヤモヤしてしまうこともあり対応にとまどう。最近は、そんな時は基本"逃げる"ことにしている。その場に居合わせない、立ち向かわない、そして早めに忘れる。

 いま世界中が、何らかの欲の塊のような一部の偏向的思考で混乱を招いていることなどについて、急逝した甥と語れなくなったことが寂しくてしょうがない。

 愛おしい対象との永訣の日まで、できる限り微笑みを忘れない暮らしを心がけよう。

 さようなら〇〇くん(甥)、貴方のような人が私の心の中にいてくれたことに感謝です。

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このページは、tsuyuが2025年2月 5日 05:06に書いたブログ記事です。

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