有名な金融業者のCMで「そこに愛はあるんか!」というセリフが叫ばれると私は「愛は無い!」と叫びたくなる。どこに愛が無いと思うのか?それはCM主の金融業者ではなく、私の脳内にはこの国の世情が浮かんでいる。
うろ覚えの知識だけれど日本に"愛"の概念は無いと、どこかで読んだような気がする。浅薄な私の推察で言えば"愛"はキリスト教の概念であるので、最近「愛、あい、アイ」と「おさ~るさ~んだよ~」の歌さながらに乱発されてもその実質実現は日本人の行動には反映されないのではないだろうか。
では日本の文化で他者への気遣いで"愛"に類似するものはあるのだろうか。「慈悲」「同情」「憐憫」......、愛というよりお情けの憐れみとも言えるような感情。それは上位に位置するものが「あんた可哀そうだね」と自らの余裕のおこぼれを施してくれているイメージ。そんなお情けを受けたらお返しが必須の束縛のような感情も否定できない。
愛は、発する者と受ける者が、あらゆる社会的差異を除外した人間として対等・平等の立ち位置で相手の存在を尊重し合ってこそ成り立つ感情のような気がする。そういう意味で、さまざまなことを上下関係や所有の多寡で判断しがちなこの国の社会的あり方では、残念ながら、愛はいくら叫んでも手にすることは望み薄だとしか思えない。
「そこに愛はあるんか!」に答えるなら「ここに愛など無い!悪いが他あたってくれ」とでも言おうか。
一人一人が自らの思想・信条を確立して自らの足で立ててこそ"愛"は実現すると、私は思う。
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