昨今スポーツ界のハラスメントが次々に表面化して報道されている。
普通の日本人なら、その報道を聞いて、現場でどんなことが起きていたのか想像できる人が多いだろう。
スポーツ界に限らず、今の社会には「いじめ」が蔓延しているように思う。
日本ではほとんどの人が小中学校生活を経験しており、
そこでは子供の得意・不得意への配慮も考慮もさておいて、
皆が同じことを同じレベルまで到達するように仕向けられた経験を持つはずだ。
それは千差万別の、生まれながらにして備えている個性を持つ人間にとっては、
時に耐え難い仕打ちでもある。
「皆同じ」を公平・平等ということだと認識するように教育されて日本人になった人は、
場を共有する複数の人間の中に、学校教育で浸透させられた
「さあ、皆さんご一緒に」に混じらない人間を異端視し攻撃する習性があるように思う。
そうやって日本社会は「出る杭」をモグラ叩きして、同一レベルで揃えようとしてきた。
文化的な能力の比較は難しいところがあるが、
運動的な能力の違いは【勝ち】か【負け】かがハッキリ結果として出てくる。
そこから、上位の結果を出した者が優位に立ち優遇され、そうでない者との扱いの差が広がっていく。
上位の者は優遇され、その所属するグループの名誉の為には多少のことは大目に見られることが多い。
そこから人間の勘違いが始まる。
持ち上げられて当たり前、言うことをきかない奴に有形無形の力で圧力と脅しをかける。
子供のころからバランス感覚が悪くて運動が苦手で要領も悪い私は、
力で弱い者をねじ伏せるやり方が大っ嫌いだから、強い者や権力者にすり寄ることは避けてきた。
その結果「名もなく貧しく孤独に」生きるしか道はなかったし、
これからも「名もなく貧しく慎ましく」生き遂げようと思う。
でも年取ったいま、負け惜しみではなく心から、
「名もなく貧しく慎ましい」生き方も案外良いものだと思って納得している。
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