日本に唯一の哲学と言われる西田幾多郎を取り上げた佐伯啓思の本を読んでいる。
西田幾多郎の著作そのものは、時代の隔たりもあり、なかなか難しくて途中挫折してしまったのだが、
こうして読み解いて解説してもらうと、なんとなく伝わってくるものがある。
「無私」、西田哲学の背骨を為す考え方。
「我思うゆえに我あり」と考えたデカルトと対比して述べられている。
それはすなわち、西洋の哲学と西田が日本という風土から生み出した哲学との違いだという。
「我思う・・・」というからには、まず、「私」がいることが前提で思考が組み立てられる。
しかし、西田の思想は主体である自分と客体である環境との偶然の出会いで経験が生じ、
そこで自分の中に生まれる何らかの思考・感情の動きが「私」を成立させるという。
つまり、経験以前に「私」は無い。
これが「無私」。
今、読み進むほどに味わい深い読書をしている。
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