今回のオバマ大統領の広島訪問に際しては、当時捕虜として広島に拘留されていた米兵の被爆が話題になっています。
彼ら捕虜たちがどうして広島にいたのかについては こちら の記事をご参照ください。
実は、米軍爆撃機ロンサム・レディーが墜落した場所は、私の郷里の近辺です。
そのため、私が幼い頃、その話は親から聞かされて知っていました。
近所の住民が機体の破片を拾ってフライパンや鍋として使ったという話は印象深く記憶に残っています。
( ↑ のリンク先記事によると、2015年に小学生の手で機体の破片が遺族に手渡されたということは、
当時破片を拾って保管していた人がいたことは確かなようです)
原爆当日、学生動員により岩国の工場で働いていた義兄(当時15歳位)は、
広島方面からの異様な飛来物(畳など)や黒雲を目撃したことを覚えているそうです。
その時に飛散した放射性物質がどこまでどのように拡散したのか、
たぶん、その詳細かつ正確な調査結果は無いと思います。
と言うのも、私の夫は34歳で急性骨髄性白血病を発症し39歳で亡くなったのですが、
夫が義母の胎内に宿った直後に広島に原爆が投下されたのです。
夫の郷里と広島との位置関係は、今回オバマ大統領がマリーン・ワンで移動した経路とほぼ同じです。
現在と違って、飛散した放射性物質が人体に及ぼす害についての知識が無かったあの時代、
風に乗って山口県の上空に飛来した放射性物質がどのような影響をもたらしたのかは誰にもわからないでしょう。
最近になって義兄が呟いた「弟の病は原爆も関係しているのかも知れないと思ったりする」という言葉に、
先の大戦や広島への原子爆弾投下が決して過去の出来事で終わっていないことを痛感させられました。
今回オバマ大統領を迎えた被爆者の方々や広島の人々の「迎える姿勢」に感銘を受けています。
過去のことを忘れることはできないけれど、今は、互いに前を向いて核兵器廃絶と平和への道を歩みましょうという心は、
オバマ大統領を始め、居合わせた各国報道陣によって世界中の心ある人々に伝わったことと信じたい想いです。
静かに、そして厳粛に、かつての敵国同士が並んで、多くの被爆者を追悼できたことで、
広島に近い場所を故郷とする私の心にも、一つの歴史的な区切りが付けられたように思いました。
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