先日、日本政府は、中国が東シナ海に16基建設したガス田施設なる建造物の写真を公開しました。
この場所は、日本が、日中の排他的経済水域が重複する問題に関して中間線を提案したところ、
ちょうど、その中間線ギリギリの場所だそうです。
中国は、日本の提案した中間線に関して明確な受け入れの表明をしていないにも拘わらず、
日本の提案した中間線を事実上利用した形での実力行使です。
こうして、ジワジワと日本は、詰め寄られて奪取されているようです。
まあ、政治的な難しい問題はわかりませんが、
「先に日本が中間線を提案しちゃったんですよね・・・」という、ある解説者の苦笑いまじりの説明を聞いて、
私は自分にも似たようなところがあると思いました。
揉め事を早く解決したい。
その為に、お互いが譲り合って、この辺で妥協し合おうではないかという提案をこちらから出す。
『痛み分け』の考え方ですね。
ところが、向こうはそれに対してウンでもスンでもないにも拘わらず、
ちゃっかり、こちらの提案の都合の良いところだけ利用して、一切の譲歩なし。
それどころか、そこからゴリゴリと押し詰めてくる。
そして、最終的に気が付けば、こちらが損するばかりの結末に・・・
この一件に限らず、
日本政府のやることを見ていると「ああ、日本的な発想なんだなあ」と思うことがしばしばあります。
それは決して邪な底意地の悪い考え方ではありません。
でも、お人好しなんだなあ、と思うのです。
そうした日本的な穏便さは、どうも、対する国や人によっては「格好のカモ」に見えることもあるのでしょうね。
抜け目のない戦略も、時と場合によっては必要ですよね。
国家間レベルの話から、ごく個人的なレベルの話に目を移してみれば、
日本人どうしでも、古来から伝わる道義的な発想に基づく、
こうした穏便さや厚意とか譲歩とかの行為が通用しないことも増えてきました。
ひとくちに「私たち日本人」と一括りに語れない時代になったと思います。
共通の道徳観や倫理観が失われて久しいことも一因でしょう。
日本政府が行う国際外交のやり方を見ていて、
ごくごく卑近な私の日常に似通うところがあるように感じ、
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