今回の腰痛は、過去にも同様のことがあり、経過の予測ができるので、
ひたすら痛みが治まるのを待つのみと楽観している。
ただ、以前の場合と違うのは、「これが最後の病になり得るやも知れぬ」との念慮がよぎること。
過去において重大な病とは無縁に過ごしてきただけに、人生のピリオドの打ち方を考えることを先送りしてきた。
いつ終わろうと悔いを残さぬようにと全力で生きてきたつもりではあるが、
それは、"自分の体は丈夫である"という不確実な要素を過信した「生命への傲慢」だったかもしれない。
いつかは終わる。
情け容赦なくその瞬間は訪れる。
やり残したことがあろうと無かろうと、
まだこの世で必要とされていようがいまいが、
時はパタリと止まる。
だからと言って、
やり散らかしたこの世のアレコレを全て整理しつくせるものでなく、
せめて、
この世への執着心を日々削ぎ落しながら、
あの世への旅立ちの日に備えるのみ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ by 露草
とは言いながら、
後始末をしてくれる人たちのことを考えたら、
ごみ(持ち主が亡くなれば、故人が生前使用していた形あるものは、一旦、ごみになると考えられる)は、
なるべく減らしておいた方が親切だろう。
近頃は「終活」というようだが、それらしきことに本腰を入れなきゃなと、痛む腰をさすりながら考えてしまった。
ところで蛇足だけれど、
(物事に本気で取り組み始める)ことを「本腰を入れる」というけれど、
この言葉に「腰」の文字が使われている意味を、私は、今回の腰痛で身を以て理解した。
「腰」がしっかり安定しないと、体のバランスは保てないし力は入らない。
何事に立ち向かうにも、まずは自由に心身を動かせる状態あってこそなんだなあ・・・
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