千葉県の高校で、授業中に後ろから消しゴムを投げつけられたことに立腹し、
同級生を傷つけ逃走した男子生徒のことが報道された。
少しずつ事件の内容が明らかにされていく中で、
この生徒が日ごろから、からかいの対象にされていたと報じられている。
誰にも (言われたくないこと)や(受けたくない行為)がある。
始めから犯罪行為と明らかなことは論外にしても、
「これくらい・・・」という軽いノリで行われる言動や行動が、いたく人の心をえぐってしまうことがある。
子どもにはありがちなことだが・・・
今回の事件にしても、消しゴムを投げた生徒と投げられた生徒の立場を逆にした場合、
今回被害者となった生徒は、果たして平然としていられただろうか?
この事件に接して、
私は、近頃の人々が自他の自尊心を軽視する傾向にあることから発生したもののように思えた。
常日頃からからかいの標的にされ、あげくに、授業中に後ろから消しゴムを投げつけられれば、
口惜しくないほうが不思議だし、腹が立って当たり前だ。
ただ、だからと言って刃物をもって仕返しをするという短絡思考に走ることはもっての外だが。
人には相性というものがある。
日本には「和をもって貴しと為す」を是とする歴史的流れがあり、
幼いころから「みんな仲良くしましょうね」「お友達をたくさんつくりましょうね」と教えられ続けて大人になる。
私は幼いころから(そんなこと無理だ)と思い続けてきた。
誰かと親しくなることはあっても、全ての人と親しく仲良くなんかできる筈がない、と。
では、そのような場合に諍(いさか)いを避けるにはどうすれば良いのか?
そこに「自尊心の相互尊重意識」が必要となる。
自尊心は幼い子供といえども、立派に持っているものである。
互いの存在をないがしろにしない意識さえしっかり持っていれば、
相性の悪い人間とだって適当な距離を保って共存できるのである。
教育の基礎は、知識の詰め込みや高得点の取り方を教えることではなく、
それぞれの胸に自尊心を養い、それは自他ともに犯すべからざる領域であることを教えることだと思う。
近年、若い人たちの間では、(リスペクト)などという表現が使われるが、
そんな外国語なんか使わずに、ちゃんと(敬意)という日本語を使えばいい。
そして、それぞれの自尊心に敬意を表して、あえて貶める行為は慎むべきだろう。
あまりにも衝動的かつ残忍な行為に及ぶ人間が増えつつあるようで、心配している。
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