飽食と餓死と

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 埼玉県のアパートで、60代の夫婦と30代の息子の餓死とみられる遺体が発見されたというニュースが報じられた。

 

 一時期(飽食)と言われる時期があり、食べ物を粗末に扱うテレビのバラエティー番組が非難されたこともあったこの国。飲食店やコンビニでは、毎日、大量の食べ残しが捨てられていたらしい。そして、それは現在も、量の多少はあれども似たような状況であると思われる。業として食物を売るからには消費・賞味期限の制約があり、一定の時間を過ぎた商品は処分されざるを得ない。一部はホームレスに拾われて、彼らの胃袋におさまるものもあるようだが。

 

 長引く不況で生活保護世帯が増加しているというのも最近のニュース。だが、生活保護の申請もせずに、ひっそりと社会の片隅で「餓死」をしてしまう人たちが存在するという現実。以前、福岡県でも、一人の青年が餓死をしたと報じられた。彼は、母親の死後、生活費を絶たれた末の孤独な死であったという。

 

 売れ残って捨てるほど弁当や総菜があっても、お金がなければそれらを手に入れることはできない。それは現社会では当然の仕組みなのだけれど、余るものが足りないところへ何とかして届かないものだろうか、と考えてしまう。

 

 とはいえ、たとえ余った弁当や総菜を貰える方策があったとしても、ことはそう簡単には解決しないことも予測がつく。それは人間の「自尊心」の存在である。易々と人から施しを受けることを良しとしない気持ちがあるからこそ人はあがき働くとも言える。しかし今やこの国には、その日の空腹を最低限満たすほどの収入を得ることのできる職さえ見つからない人たちが増加している。

 

 東日本大震災以降、「絆」という言葉が多用されるが、その言葉を聞くたびに空しさやうすら寒さを覚えるのはなぜだろう。

 

 相変わらず、テレビや雑誌には食べ物関連の情報が溢れている。いまはそうした話題が当たり障りのないネタなのだろうか。飽食と餓死と・・・贅沢で美味な食より、質素でもいいから命つなぐ食を手に入れる手段が皆に保障される社会であってほしい。

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このページは、tsuyuが2012年2月21日 22:57に書いたブログ記事です。

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