物理的な時の流れの速度に今昔はない。時の流れを遅く感じるも速く感じるも、人それぞれの脳という生理作用の為せる技。発生した事柄はすべて、眼前に現れた時点で既に過去の記憶となっている。次々に生じるあれこれに、命あるものは皆、必死で対応しながら時空を彷徨っている。
年齢を重ねるほどに時の流れを速く感じるものだと、以前、人生の先輩から聞いたことがある。そのことの理由を深く考察することもないまま、それは今まさに自分の実感となっている。
紙に書かれた情報を読んでいた時代でさえ、若い者と年配者との意識のずれはあったのに、コンピューターを使いインターネットに接続できることが当たり前の時代になったいま、そうした道具とは縁遠い暮らしの年配者には、もはや見えない事象が多すぎるようだ。同じく年配者であっても、辛うじてコンピューターを使える者と全く使えない者とでは話がかみ合わない場面が増えてきたように思う。
残された時間に余裕のない年齢になると、先の話より、過ぎ去りし日々の記憶こそ語るに足る話題。できれば、共通の景色を思い浮かべることのできる者どうしで、存分に語り合える環境であれば、老いの悲哀は軽減されるだろうに。年輩者の皆が皆コンピューターを使えるわけではないことが、老人の孤独を一層深めることにならなければよいが。
モニターという無機質の道具に語りかけることは、時として虚しい。
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