なかなか落ち着いて読書するのも困難な昨今ではあるが、いま読みかけの本は「白洲次郎 占領を背負った男 上」 (北 康利:著、講談社文庫)。ちょうど、日本国憲法成立のくだりを読んでいる。
現行の日本国憲法については、改正すべきとの意見と擁護派とに分かれることは知っている。しかし、それ以上の深い見識は持ち合わせていないので、うかつに意見を述べることはできない。ただ、先の大戦終戦時にGHQの関与で制定されたことに対しては、いささかの残念を感じる私ではある。
「白洲次郎 占領を背負った男」で、その憲法が如何にして作られたのかを詳しく知ると、なおさらに今一度日本国民の手で憲法を見直してみたい欲求に駆られる。たとえその結果が現行憲法を肯定するとしても、私たちが積極的に検討した末の「是」として受け入れたい。
同じ敗戦国でもドイツでは、終戦時の制定はあくまで暫定であり、後日改正可能との条文が付け足されていたと知ると、なおのこと、我が国の尊厳を国民として自覚する為にも憲法について議論が沸き起こってほしいと思う。
それにしても、日本人は、プライドをかけてあくまで闘うということを昔も今もしない民族かもしれないと思う。意見の対立が生じたり、力の強い側が横車を押したりしても、駆け引きも取引も交渉もしないでサッサとひいてしまうのが"大人"だとする風潮は、たしかにありそうだ。よく言えば「柔軟性・順応力」が高い、悪く言えば「事なかれ主義」。なるべく面倒な事は起きないでほしい、発生したらしたで関わりたくない、知らぬうちにうやむやで消えてくれればそれでよし。しかし、事に当たっては、どのような結末を迎えようとも、一度は自分の思慮信念をかけて体当たりで行動した末でないと、後日に悔いが残ることになる。その悔いが自分ひとりのものであれば自業自得とも言えようが、後の世代に大きなツケを遺すのであれば問題だろう。
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