テキトーに

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 もともと私は面倒くさがり屋。だから、何かに着手する時に、細かく調べて計画を立ててから行動する人をうらやましくも思い尊敬すらしてしまう。私はだいたいにおいて「行き当たりばったり」。出たとこ勝負もいいところ。そんな生き方で還暦近くまで、良く生き延びてきたものだと、今更ながら過去を振り返って冷や汗が噴き出しそう。

 またまた国のトップが入れ替わる。ここ数年、落ち着いて暮らせる社会環境にはない。もう何十年も政治や社会問題に関心を寄せてきたけれど、こんなに意見の述べようの無い時代は無かったように思う。腹も立たないほど呆れてものが言えない事態。

 面倒くさがり屋の私はいま、テキトーに日々を暮らしていようと思う。漢字で「適当」と書けば、ずい分肩に力が入るが、カタカナで「テキトー」なら力の抜けた感じになるから不思議。

 真剣に考えたって、地べたを這い蹲るような暮らしの人間の意思などどこにも届けようがないし取り上げられる可能性も皆無に近いと思えば、考え悩むだけ無駄というもの。

 

 また国政選挙がある。何も変わりはしないのに、面倒くさいなあ・・・

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お久しぶりです。

政権交代があって,少し分かったことがあります。「何も変わらない」というか,誰がやっても同じように地道な努力をしなければいけないことがある。「近くにあると迷惑だけれど,どこかに作らなくてはいけない施設」をどこに作るかといった問題は,何か魔法のような解決策はなくて,地道に当事者と話し合い,どこかに「落し所」を見つけるしかないのではないでしょうか。(そういえば,一昔前の政権交代のとき細川内閣を見ていて,当時「政治家は悪」と思っていた なも は,「政治家」が弱すぎると,官僚「暴走」が起こるということを学んだ記憶があります。<細川首相が唐突に「消費税7%」を発表したときのことです。>)

今ごろになって,買ってあった菅さんの『大臣 第二版』(岩波新書)を読み始めました。「官僚が勝手なことをしている」という話には,ちょっと違和感があったのですが,「政治主導にするためには,大臣の在任期間がもっと長くなくてはいけない。」という認識が前提のようで,少しほっとしました。(知人から「大臣の国会答弁書は大きな字で,下手をすると振り仮名を打たないといけないらしい。」とか,「A大臣は何度説明してもお分かりにならなかったらしい。」とかいううわさを聞いたことがあり,そんな「大臣」が「主導」したらどうなるんじゃい?と思っていたものですから・・・)

だけど,「大臣(政治家)が長く同じポスト在任して,官僚と同等の(いろいろな意味での)『能力』を身につける。」という前提条件のないまま,「まず形から入ろう」ということで「官僚排除」を打ち出したのは正しかったのか?技術的裏づけのないまま,「技術を持っている奴らは,勝手なことをするから・・・」といって排除するさまは,ちょっと突飛で間違っているだろうけど,文化大革命やポル・ポト「革命」で知識人が抹殺されたのを連想させました。

なもさん、こんばんは。

菅新首相は山口県出身。とは言っても、本籍地は岡山県だそうで、そういう意味では報道されている通りに彼は大方(おおかた)の現代日本人と同じような育ち方をされたのだと推察されます。おそらく、お父様の転勤か何かで山口県に居を移されたのでしょうね。

それにしても、高杉晋作や奇兵隊が出てくるあたり、たしかに山口県で子供時代の教育を受けたのだろうと思えました。

さてさてこのブログ記事、私としては必ずしも本音(テキトーに関して)とは言い難いのですが、こう言わざるを得ない心境であることは否めません。

政治家にしても、官僚にしても、そこいらへんの普通の公務員だって、一番大切な「人間の核」たる部分が欠落した人ほど、まんまと地位・権力・財を手に入れている。そういう国なんだ・・・この国は。であれば、いまさら下々(しもじも)から抜け出す可能性の無い年齢になった私などは「テキトーに」という表現でしかこの絶望感を表現できないような気がしています。

官僚になる人材と政治家になる人材は、それぞれ求められる適性や能力が異なりますよね。お互いの力を合わせれば強力な国の運営ができるのに、なぜ互いに謙虚に協力しようとしないのだろう。そんなこと、小学生でも解ることなのに・・・やはりお金への執着が全ての理想や信念から目を逸らさせてしまうのだろうか?そっかー!小学生ならお金が絡まないから純粋な判断ができるのかー!だったら、裁判員制度のように、小学生中学生を国会の傍聴席に座らせて監視してもらおうか・・・な?んてことも考えます。小学生でも解る政治って良さそうです。

今回、菅さんが所信表明で語られた「最小不幸」の国づくり、ぜひとも実現に向けて行動してほしいと願っています。年間の自殺者が3万人超という年が続いています。死んだほうがマシだと思いながら暮らしている人はもっとでしょう。

何とかうまく歯車がかみ合って、ギクシャクしない国政が動き出しますようにと祈る想いで成り行きを見守っています。

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このページは、tsuyuが2010年6月 3日 21:29に書いたブログ記事です。

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