昨日、NHK 総合TVで二回に分けて「無縁社会」に関する番組が放送された。過日の「無縁社会」放送後の反響が大きかったことで、改めてプロジェクトを組んでの取材だったらしい。反響は、意外にも20代30代の若者世代からの声が多かったという。そういう時代に生きていることを、この番組を視聴後に改めて再確認させられたように思える。
「何かがおかしいぞ」というのは、長く生きれば生きているほど、自然な感覚として捉えられるものだ。それは、現在の状況とは異なる社会を経験していることで比較対照できる事象が多いことによるのだろう。そのことは時として「昔は良かった・・・」という言葉になってしまいがちなのだけれど、今更戻りようのない時代を懐かしみ現在を嘆いてみたところで詮無いだけだ。それに、結果の出ている過去話はとかく美しい光を放つものなのだから。
今こそ、この国の価値観や社会のあり方は再構築されねばならない。そしてそれは急務である。しかし、それに着手し得る人物の出現がいまだ確認できていないことは、この国に暮らす人々にとっての悲劇である。「出でよ救世主たり得る同胞よ!」と叫びたいところだが、どうも期待薄の叫びに終わりそうで声にもならない。
これまでの人生より先の人生のほうが短くなった私が「孤独死」の覚悟も決めようかと悟りめいたことを考えたとしても不自然ではないが、20代30代にして既に「無縁死」を想定して生きて行かねばならぬこの現実は、何とかしてやりたいと痛切に思う。
「私はあなたのために、あなたは誰かのために、誰かは私のために」という循環が生まれることを切に切に祈るのみ。
「何かがおかしいぞ」というのは、長く生きれば生きているほど、自然な感覚として捉えられるものだ。それは、現在の状況とは異なる社会を経験していることで比較対照できる事象が多いことによるのだろう。そのことは時として「昔は良かった・・・」という言葉になってしまいがちなのだけれど、今更戻りようのない時代を懐かしみ現在を嘆いてみたところで詮無いだけだ。それに、結果の出ている過去話はとかく美しい光を放つものなのだから。
今こそ、この国の価値観や社会のあり方は再構築されねばならない。そしてそれは急務である。しかし、それに着手し得る人物の出現がいまだ確認できていないことは、この国に暮らす人々にとっての悲劇である。「出でよ救世主たり得る同胞よ!」と叫びたいところだが、どうも期待薄の叫びに終わりそうで声にもならない。
これまでの人生より先の人生のほうが短くなった私が「孤独死」の覚悟も決めようかと悟りめいたことを考えたとしても不自然ではないが、20代30代にして既に「無縁死」を想定して生きて行かねばならぬこの現実は、何とかしてやりたいと痛切に思う。
「私はあなたのために、あなたは誰かのために、誰かは私のために」という循環が生まれることを切に切に祈るのみ。
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