マイケル・ジャクソンは、もういない

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 マイケル・ジャクソンの死が報じられた。
 表舞台から姿が消え、たまに聞こえてくる消息も、芸能活動以外のプライベートのかけらばかり。(今頃どうしているのかなあ・・・)とは、チラと思うことはあっても、こちらの日常に深い関わりのあることでなし、このままであれば記憶の彼方に静かに過ぎ去って行くところだった。
 そこに、突然の死の報道。
 マイケル・ジャクソンの過去の栄光と同時に、それを思い起こすそれぞれの人々が、自分の個別の過去をよみがえらせているだろう。

 エルビス・プレスリーもマリリン・モンローもグレース王妃もダイアナ妃も、多くの人に取り巻かれ、華やかに賑やかに日々を送っているかのように思われながら、その表情には深く暗い洞の闇がにじんでいた。
 三角の頂点は孤独だ。頂点は一つであるがゆえに、意識の共通理解を持てる対象には恵まれない。人々に持ち上げられもて囃される人間も、素顔に戻れば一人の人間。頂点に立ったゆえの脆さ危うさの心理的圧迫は、名もなき人間の比ではないのだろう。これは、その立場に立つことのない者の想像だが・・・

 どのように非凡な才能に恵まれようと、それを持てる固体が消滅と同時にそれ以後の創造活動も停止してしまう。
 一切は「空(くう)」である。
 あるがまま、あるがままに・・・

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このページは、tsuyuが2009年6月26日 23:16に書いたブログ記事です。

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