人はそれぞれ生き方さまざま
泥田に咲けども蓮華香りたち
掃き溜めに足踏み入れようと鶴は鶴
その気概もて生き抜かん
顔は偽りなき名刺なり
(2008年9月20日 露草)
残忍な人が増えたのだろうか?それとも、もともと潜在的に誰もが持っている残忍性が、困難な社会状況に応じて表面化する機会が増えたのだろうか?人間とは、これほどまでに卑しく残虐になれるのかという事件が多発する。
「欲望という名の電車」という芝居があるが、現代はまさに欲望が突っ走っている観がある。それも、我が身を利する姑息な欲望と本能行動ばかりが目立つ。もはや猿を軽侮する資格は人間にはないのでは?そう思わせる出来事も増えた。
形而上の思考を深めて行くという、人間ならではの精神活動はいつどこで衰退してしまったのだろう。本当に大切にしなくてはならないものやことは何か、もう一度確認して暮らさなくては。
「真実一路の道なれど 真実鈴振り思い出す」
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