今年も広島と長崎の原爆被爆者慰霊の日が廻ってきた。NHKテレビで関連番組を視聴しながら、改めて、この国が世界中で唯一の原爆被爆国であることについて考えさせられた。
私の故郷は山口県とは言っても、どちらかというと広島文化圏に属する土地柄であり原爆投下の日以後の放射性物質飛散の影響が全く無いとも言い切れない場所に位置する。あの日降ったと聞く「黒い雨」が周辺何キロメートルまで降ったのか、その雨に濡れた農作物や土地に放射能はどれほど残留したのか、隔たり無く広がる大気に浮遊した放射能はどこまで流れどのような害を撒いたのか、私たちはあまりにも知らないし知らされなかったことが多いのだと番組を視ながら思った。
あれから歳月は過ぎ、原爆被爆の日から数えて既に63年という。忘れてはならない歴史の事実に無関心であったことを今更ながら後悔している。「あやまちは二度と繰り返しません」と刻まれた広島平和公園の碑の祈りを永遠に世界に訴え続けることが、この国に生まれた私たちの使命だと自覚したい。
猛暑つづきの夏にもかかわらず寒々と冷え込んでいく心をどうすることもできない世情のさ中に暮らしながら、この混沌社会の端緒は歴史のどこまで遡れば見つかるのか、はたまたやり直せるのだろうかなどと考えてみたりしている。
新聞にこんな記事があった。
『核兵器廃絶は犠牲になった無数の命が、日本と日本人に託した夢である。
実現が無理だとは思わない。
だが、「忘れる」までいけば「あきらめる」は、もう遠くない。』
体験者はいずれこの世を去る。
伝え続けることをやめてはいけないね。
今日は長崎の慰霊式典ですね。
私の夫は白血病で亡くなりました。昭和21年5月生まれです。義母の胎内に生を受けた時が、ちょうど広島に原爆が落とされた時期になります。最初にその関連性に疑念を抱いたのは、現在78歳になる夫の長兄です。その義兄は、原爆の日に岩国市で勤労奉仕をしていたそうです。真っ暗になった空を畳が飛んで行ったと話していました。
もちろん、夫の白血病が原爆に起因すると断言できるものではありません。が、あの日原爆が落とされて放射能が撒き散らされたことは事実であり、その影響が周辺のどこまで達したのかに関する緻密な追跡が為されていないことは、忘れてはいけないと思うようになりました。
体験を語っていただける被爆者の方々がご高齢の今、私たちが歴史上の一犯罪的行為が後々まで害を及ぼすことについて深く考え、二度と繰り返さない為にも、後世に伝えていかなくてはならないと思いますよね。
ご主人、白血病だったのですね。
原爆が落とされて60年以上もたった今も、原爆病で亡くなる方が年間何千人もいらっしゃるという事実に愕然とします。
原爆の、そして戦争の体験者がどんどん減っていき、命の大切さを知らない若者達がどんどん増えて・・・
日本はどうなってしまうのでしょうね。
間接であっても戦争について語り聞いている私たちが、がんばらなくてはいけないのですね。
ご主人をはじめ亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。
>60年以上もたった今も、原爆病で亡くなる方が年間何千人も
その60有余年間にも病気がちな日々を余儀なくされるという・・・
多くの人が「健康に生きるチャンス」を奪われてしまったのですよね。
私に今できることは、二度とあの悲劇が繰り返されませんようにと祈るだけです。