2018/4/1(日) ★★★★★ 「遺言。」 養老孟司:著 新潮新書 養老先生が独りごちているような文体。 冒頭部分からしばらく、なかなか入り込めないで困った。しかし、著者である養老先生に関しては、個人的に共感を覚える部分が多いので、なんとかその意味するところを汲み取りたいと読み進み、読了した。 この本を理解するためのキーワードは「私たちヒトの意識と感覚に関する思索」「考え方ひとつで人生はしのぎやすくなりますよ」ということ。これは、カバーに記されている本書の内容を簡単に紹介した文章の中にあった言葉。 そう、この本は、養老先生の感性からにじみ出る言葉の意味を読者の感性で受け止められなければ、先生の意図は伝わらないかもしれない。 「同じ」という概念はヒトにしかないのだということ。そこからヒトはさまざまな苦しみを生じさせて、挙げ句は、生き辛い生にもだえ苦しむ。 「感覚所与」と「意識」の対比。「意識」が「感覚」より上位に位置するというヒト世界の価値観を解説してくれる。 結局、ヒトも獣も鳥も植物も生き物であることを基本に物事を考えれば、ヒトが生きるとは・・・というヒト特有の悩みの多くは霧消するのではないか。そうしたことを養老先生は伝えたいのではないか。これは私の勝手な感想。 80歳を迎えられた養老先生の呟きに耳傾けたような読後感。 |
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2016/10/22(土) ★★★★ 「世界は『ゆらぎ』でできている 宇宙、素粒子、人体の本質」 吉田 たかよし:著 光文社新書 NHK Eテレ「サイエンス ゼロ」で最新の科学情報に触れてみると、根っからの文系人間である自分にも科学の面白さが伝わってくる。 そんな流れでこの本を読んでみようという気になったとも言える。 ただし、第1章から第3章までの話(原子・素粒子・宇宙など)は、科学に弱い人間にも解りやすい言葉で書かれているにもかかわらず、やはり、文系人間には少々難しい内容で、図書返却の期限も迫っていたことから飛ばし読みしてしまった。 特に興味をそそられた【第5章 人体は「ゆらぎ」をたくみに利用する】【第6章 脳が揺らぐ、心が揺らぐ】は非常に参考になる内容だった。 最近はうつ病を病む人が増加の傾向にあるようだが、人がうつになることは必ずしも否定すべき事象ではなく、人間という生物が生き延びるためには必要な症状なのではないかという研究が紹介されている。実に面白い(福山雅治のドラマのセリフから)。 これを読めばうつ病の人も悲観する必要はないと思える。 また(明朗闊達)こそ良しとされる社会的評価に順応しきれないネクラタイプの人間にも存在意義を見出せる話もあり、これまた実に面白かった。 |
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2016/10/12(水) ★★★★★ 「『いいね!』が社会を破壊する」 楡 周平:著 新潮新書 読後感についてはブログ「ひとりしずか」の記事にしたので、こちらには、全く同意と感じた本書の最終部分を転載しておこう。 (転載始め) つまり、待ち受けているのは勝者なき世界。どれほど優れた製品を開発しようとも、魅力あるプラットフォームを立ち上げようとも、誰も対価を支払わない、いや、支払えない社会となってしまうのです。これも人間が、より快適な、より便利な生活を追い求め、無駄を排除し、より効率的な仕事をと考え続けてきた結果です。労働からの解放を夢見て、技術を進化させてきた結果でもあります。巷間よく「寝て暮らすのが夢だ」と言われますが、まさにその時がやってくるのです。スマホを握り締め、パソコンを見詰めながら「寝て暮らすしかない」時代がーーー。 (転載終わり) 折しも将棋の竜王戦に参戦予定の将棋高段者が、対局中に度々席を立ちスマホの将棋アプリをカンニングしていたのではないかと疑惑を持たれて出場停止処分を受けたというニュースが報じられた。 今、ノーベル賞受賞者の発表が話題に上る季節だが、その受賞者の研究は数十年前の功績が社会的に証明されたことを受けてのことだ。今ほどコンピューターを駆使できなかった時代に、発想・実験・立証を繰り返し行った末の業績がノーベル賞受賞という結果になっている。 何でもネットやアプリに頼ってことを運んでいたのでは、ネットやアプリ以上の発想などできない人間ばかりになり、現在開発速度すさまじい人工知能の指令するがままに発想・行動することが当たり前の時代になりそうで恐ろしい。 やがて人間は不要の生物になってしまうのだろうか。 太古の昔から、この地球上に現れては消えて行った生物の歴史。消えた理由はさまざまだが、これまでは自然変動が要因であったらしいものの、ひょっとしたら、人間は自らが作り出した人工知能に駆逐されるかもしれないというストーリーが荒唐無稽な話ではなくなるのかもしれないという思いが、漠然と私の頭の片隅から離れないでいる。 |
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2016/09/19(月) ★★★★★ 「孤独病 寂しい日本人の正体」 片田珠美:著 集英社新書 説明のつかない不安感や寂しさを感じている人は、この本を読んでみればいいと思う。 多分、その不安や寂しさには【孤独】が大いに関係しているだろうから。 明治時代以前の日本人に【孤独】は人生の大問題であったであろうか?この本の著者は、およそ人間が人間に対して為すことの殆どを商品化してしまう資本主義が人間の孤独感を深めることとと関係があるとする。 飲食店における接客でさえ、今やロボットにやらせようとする現代。労働力不足を補うとか人間の身体の負担を軽減するとか理由はさまざまだけれど、我々が日常生活において人対人で向き合って行ってきた社会的行動が次第に減少していく方向にあることは否めない。 時代の流れは止められないが、そんな社会にあって、孤独に押し潰されない生き方とは・・・という内容を、精神科医の筆者が親しみやすく解りやすい文章で解説してくれている。 若い人たちには(これからを生きるために)、既に現役を退いた高齢者には(孤独の何たるかを知り、心穏やかに老いと向き合うために)、一読してみると良い本。 |
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2016/09/15 (木) ★★★★★ 「沈黙すればするほど人は豊かになる」 ラ・グランド・シャルトルーズ修道院の奇跡 杉崎泰一郎(すぎざきたいいちろう):著 幻冬舎新書 本との出会いはタイトルから始まる。この本もまさにそうした直感から手に取った一冊。今年7月に刊行されたことを知らせる新聞の出版広告を目にして図書館にリクエストしたところ蔵書リストに無いということで購入してもらった。そして、私が第一号の借り手になった。 タイトルに惹かれても内容で落胆する本もあるが、この本は期待を裏切らず、借りてからいっきに読み終えた。 子供のころからなぜか大勢の人と過ごす時間に孤独と虚しさを感じることの多かった私は沈思黙考の時にこそ内面に豊かさが広がるのを自覚し好んできた。そして、宗教者が俗世から距離を置き、思索と祈りに専念するという場に関心を抱き続けてきた。 修道院で暮らす修道士の暮らしぶりを伝えてくれるこの本は、読みやすくて解りやすい本だった。 内容の一部、心に止まる部分をノートに書き留めたが、あまりにも多量の書き抜きなので、ここには、内容をまとめた裏表紙の文を転記しておくことにする。 (ここから転記) 机、寝台、祈祷台のほかは、ほとんど何もない個室で、一日の大半を祈りに捧げる、孤独と沈黙と清貧の日々ーーーフランス南東部の山中にあるラ・グランド・シャルトルーズ修道院では、男性修道士たちが、900年前と変わらぬ厳しい修行生活を、いまも送っている。溢れるモノと情報の中に生きる私たちよりも、彼らのほうが、はるかに自由で豊かで幸せに見えるのはなぜなのか?映画『大いなる沈黙へ』で感動を呼んだ神秘の修道院の歴史とそこでの生活から、人生に真に必要なものは何かを問いかける。 (転記終わり) 俗世に生きざるを得ない者にとっては、あらゆる欲を断ち切って個室で沈思黙考の日々を送ることは不可能であるが、せめて、時折立ち止まり、自らの内面と静かに向き合う時間を持つことは必要なのではないかと思う。 その時に、特定の宗教を念頭に置かずとも、自然の一員として、あらゆる存在への根源的な祈りを捧げることができるなら、心は平安に導かれ、生は豊かさを増してくるのではないだろうか。 |
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2015/11/08 (日) ★★★★★ 「呆けたカントに『理性』はあるか」 大井 玄:著 新潮社:発行 延命医学の急速な発展によって、人はどのような状態でどこまで生きたら自然死と言えるのか判断が難しくなっている。未曾有の高齢社会の到来により、看取る者・看取られる者の両者に悔いの少ない別れ方の提案のような書。 作者は、「本書はささやかな遺書のつもりで書きました」と、あとがきに記している。 おそらく、この書の総括部分と思われるページを書き写しておこう。 ***************(ここから転載) P.172-173 ・・・・・ 前略 ・・・・・ 六割近い家族が「困っていたこと」として「本人の気持ちがわからなかった」ことを挙げています。また「じっくり検討する時間的な余裕がなかった」が三割あり、前述した「理性的意思決定」を行うむずかしさも示唆されています。 また「自由回答の中には、本人の意思が確認できない中で重要な決断をした家族の精神的負担が多くつづられていた」という記述があり、はっきり本人が喜ぶかどうかわかりえないような医療措置を、家族が代理で承諾してしまうときの悩みが浮き彫りにされています。 意思表示が家族を安堵させる 人生の終わりに近く、誤嚥性肺炎を何度か繰りかえすと、急性期病院は家族に対し、胃ろうをつけるか、それとも平穏な看取りにうつるかの選択を依頼する場合が多くなりつつあります。その際、胃ろうについてはっきりした拒否的意思表示があると、家族は本人の意思に基づいて看取りの選択をしたという倫理的満足感を抱くのが、筆者の経験ではそれこそ例外なく観察されます。 「大往生」は、家族が本人の意思に沿った選択をおこない、別れをおこなった賜物(たまもの)であることを看取りの医師が保証できるのです。家族は、自分たちが、できる限りのことをしてあげたかどうかに一抹の疑念を抱かざるを得ない以上、この看取りに際しての保証が、どんなに家族を安堵させるかは想像を超えるものがあります。 認知症高齢者に耳傾けよ 胃ろう設置に対する嫌悪感を示した認知症高齢者の否定的反応は、その生涯のみならず、生物三八億年の歴史から生じる直感的意思表示でした。認知症の有無にかかわらず、ほぼ同じ割合で拒否的意見を示す事実にもそれがうかがわれます。 その意思表明を尊重するのが、いのちを大切にするという本来的な意味での倫理的態度であると考えます。 ***************(ここまで転載) おりしも、高齢者の誤嚥性肺炎に関することがらが社会的問題として取り上げられることが増えたと実感する昨今。順番として先に逝く者は、日々、そのとき自分はどのようにして見送られたいのかを、周囲に話したり書き残しておく必要があるだろう。 |
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2015/07/15 (水) ★★★★★ 「一〇三歳になってわかったこと」 篠田桃紅:著 幻冬舎:発行 とても素直に受け入れることができる文章。 103歳になった著者だからこその説得力。 地球上に共存する生命体の一種、動物としての人間。 そんなに肩ひじ張らないで、しなやかに生きて行きなさいと、 そっと肩に手を置いてもらえたような読後感。 |
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2015/07/09 (木) ★★★ 「後妻業」 黒川博行:著 文藝春秋:発行 昨今相次ぐ、資産目当ての高齢者男性殺人事件を題材にした小説。 何とも後味の悪い読後感。 色と金に血迷う人間の薄汚さに吐き気をもよおす。 が、確かに、この種の人間が実在することは否定できない。 |
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2015/07/05 (日) 「家族という病」 下重暁子:著 幻冬舎:発行 幻冬舎文庫 共感できず。参考にならず。反論したい箇所、多々あり。 |
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2015/06/18 (木) ★★★★★ 「ぶれない生き方」 中野孝次:著 海竜社:発行 帯には(60歳からの幸福論)(人は齢をとるにつれ自分自身になっていく)の文言が。 目次の大タイトルを列記すると、 *心に響く本物の生き方 *人は齢をとるにつれ自分自身になってゆく *生きて今あるという喜び *老年は調和と成熟の時代 次第に荒み始めたと感じる現代日本の精神状況。それはいつ頃から変化の兆しを見せていたのか?また、著者が「良し、好し、善し」とする日本人の生き方とは? 読み進めるほどに、日本人が失った「気品」とか「美意識」とか「潔さ」などの姿が浮かび上がってくる内容。 6/28(日)読了 我が身の老いの佇まいを、見苦しいものにしないために、参考になる良書だった。 |
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2015/05/10 (日) 「宮本常一 逸脱の民俗学者」 岩田重則:著 河出書房新社:発行 年表や出典などの引用が多く、宮本常一の業績研究には適。 一方、読み物として読むには煩わしい側面もあり。 むすびの文中最後(p.287)に引用された文章は、 宮本常一の思考の原点を知る上で重要な文章だと思う。 少し長くなるが、ここに書き写しておこう。 (以下、引用) ********************* 「文化トイウモノハ後ヘ残サネバナラヌ。大学ノ講義ハ知識ヲ形成スルダケ、背後ガ大事、物ノ見方、考エ方ハソノ人ノ行動ノ中ニハイリコム、河内ノ山中デ左近熊太翁ニ逢ッテ体験。ユスハラノ乞食デモ同ジ(中略)、真価ハ肩書デハナイ、日本ガココ迄コラレタノハ最末端ノ人マデ力一パイ生キテイルコト」【宮本ア 一九八一:五五〇頁】。 |
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2015/04/22 (水) ★★★★ 「夢を売る男」 百田尚樹:著 太田出版:発行 出版界の裏側を垣間見る一冊。 何らかの本を書いて世に出したいと思う素人作家は、必読の書。 |
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2015/04/21 (火) ★★★★ 「宮本常一著作集 10 忘れられた日本人」 宮本常一:著 未来社:発行 名も無き古老への聞き書きによる伝承の数々。そこには懐かしい日本人の姿が。 |
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2013/07/17 (水) 「パラドックス13(サーティーン)」 東野 圭吾:著 毎日新聞社:発行 図書館で、何気なく手にして読み始めたこの本に、これほどの衝撃を受けるとは、まったく予想していなかった。 まず特記しておかなくてはならないことは、この本は2007年~2008年の約一年間「サンデー毎日」に掲載された小説であること。 なぜ、初出年を特筆するかというと、東日本大震災の発生はその後の出来事であることが関係する。 本書のストーリーを追っていくと、どうしても、あの大震災のことを思い浮かべずにはいられなかった。 しかし、こうした物語を書く作者の頭の中はどうなっているのだろう?「日本沈没」を著わした小松左京という人にも驚かされたが、この東野圭吾という作家もすごいと思う。 歌手で俳優の福山雅治が主役を演じているドラマ「ガリレオ」シリーズも東野圭吾作品だけれど、やはり、好評シリーズになっている。 とにかく、読み始めて二日で470ページを読み切るほど夢中で成り行きを追った読書は、久しぶりだった。 天変地異が相次ぎ、社会も混迷を深める今、6年前に書かれた本書の内容が、私の心にズシリと重い読後感を抱かせている。 |
2013/06/7 (金) 「女のおっさん 箴言集」 田辺 聖子:著 PHP研究所:発行 本を読んでいると、必ずしも著者の意見に同意できる内容ばかりとは限らず、その主張と私は違うとか、意味がよくわからないとか、さまざまな感想を呼び起こされる。 だからこそ、読書で他人の頭の中を覗いてみることは大いに価値あることだと言えるのだろう。 田辺聖子さんの物事の見方・考え方が、数多の作品から拾い集められたこの本、私には理解・共感が薄いもののように感じながら読んでいたのだが、(家族)に関しての章に目に留まる文章があったので拾っておこうと思う。 (親子だからといって気が合うとは限らない。気の合わぬ肉親は他人より始末がわるい。血は水より薄い、というのが私の持論である。) ☆ 『猫なで日記』 日本はもともと、オトナの住める国ではない。オトナは子供と老人の奴隷である。オトナの男なり女なりが、良識あり秩序と節度を保ち調和のとれた人生を送ろうとしても、そこへ土足でズカズカとはいりこみ、傍若無人にかきみだすのは子供である。日本の社会のオトナはオトナの生活を守る識見がないから、甘んじて子供跳梁(自由にはねまわること)にまかせている。日本ではオトナの人生まで、子供に蹂躙され(踏みにじられ)つくして、なすすべもないのである。 ☆ 『歳月切符』 日本はオトナが住めない国かぁ・・・・・この部分、激しく共感だなあ。 こんどは(言葉)に関する章から。 タダの主婦ならオシャベリでもよいが、働いてる女、それでいて年くってる女がオシャベリでは職が張れない。いうべきときにはいって、黙るべきときに黙ってる、という芸当ができなければ、働く女、といえない。 ☆ 『風をください』 そうそう、これよこれ、私もこれを常々感じるのよ、おせいさん。この本のタイトル「女のおっさん」って、案外わたしにも当てはまりそうです、ハイ。 |
2013/05/24 (金) 「ああ面白かったと言って死にたい」 佐藤 愛子:著 (株)海竜社:発行 佐藤愛子さん、御年90歳になんなんとされるようです。 この本は2012年発行で、その後書きを寄せられているところをみると、お元気なご様子で何より。大好きな作家さんなので、素直に嬉しいです。 さて、彼女の過去の著作から「これは、これが」という文章を集めた箴言集、どの文章にも共感や納得を覚えつつ読み終わりました。というか、これは箴言集なので、どのページを開こうと、内容はそのページで完結。ときどき手に取って読み返すに値する本でしょう。 こういう先達の書いたものを手に取って読まなくなったころから、世の中おかしくなってきた。やはり、目で追った活字をわが身に浸透させようと思えば、紙の書物を手に取りページを繰りながら五感を駆使してでなくてはと、改めて思う。 そうですよね、佐藤愛子さん。 |
2012/06/07 (木) 「恍惚の人」 有吉佐和子:著 (株)新潮社:発行 昭和47年初版から既に40年の年月を経ているのに、取り上げられているテーマはいまだに(というか、ますますもって)解決されざる難問である。 老人性痴呆をどのように支援し、各個人のQOLを保障しつつも、介護する側の負担の軽減も考慮しなければならないという課題は、ここにきて最重要関心事となっている。 本書に添えられた平野謙氏と有吉佐和子氏の対談リーフレットに、著者が「恍惚の人」を上梓する前に数年をかけてジェロントロジー(老年学)を学んだことが明かされている。 「老年の痴呆」が昔の文献でどのように表現されているかを探してみたという話は面白く、頼山陽の『日本外史』の中に(三好長慶老いて病み恍惚として人を識らず)とあるのを見つけ、ここから本のタイトルが決まったのだという。 ちなみに、昔は平均的に死亡年齢が若く、耄碌(もうろく)する前に多くの人が一生を終えていたので痴呆が一般的な問題ではなかったのではなかろうかということらしい。 それにしても、茂造老人が排泄物に対して衛生観念を失った時点での社会福祉主事のアドバイスとして「預けられる施設は精神病院しかないでしょう」とあったのは大いにショックだった。おそらく、現代でも大差ない福祉の状況であろうか。いやいや、現代はお金さえ積めば医療付きの介護施設に入所させることができるという違いがあるかもしれない。 しかし、家族が看ようが施設職員が看ようが、身の回りの全てを認識できなくなった人のQOLを保障する介護の難しさに変わりはない。 自分自身の老いを考えるにしても、社会における老人問題として考えても、切なくも哀しい話ではあることよ。 最近よくテレビでお見かけする ぎんさんの4人の娘さん(平均年齢90歳)のように、朗らかに自立してまめに動きながら日々を過ごそうと思うばかり。 どのような老いの人生が待ち受けていようと肚をくくるしかないか・・・ |
2006/02/26 (日) 映画 「県庁の星」 国レベルの政治が混迷し、行政も変革を迫られている今の時期に、はなはだタイムリーな作品だと思った。 学生から公務員へ、順調な進行をした者に時として欠ける視点は何か?その問題点を指摘していて痛快。 これが、国家公務員でもなく市町村公務員でもなく県庁公務員である設定が味噌。今、地方自治の独立性移行が進められている時代。行政の管轄範囲が国単位から県単位となる時に何を重要視してものごとを決定していけば住民の意向に沿うのかという、一つ間違えば堅苦しい話題になりそうなところを軽快にまとめていたと思う。 最近は、大学も親の経済力頼りの学生が殆どで、有名国立大学では年収ウン千万円以上の家庭からしか進学の可能性は低いと聞く。アルバイトや奨学金などの自力で勉学し卒業するなどという話は、いまや昔話になってしまったのだろうか。 そうした学生生活を優秀にクリアし、当然の如く公務員試験に受かり、職務に就いてからは机上でのみ案件をソツなく処理し、大きな問題を起こさずに、もっぱら出世するチャンスをうかがうばかりの主人公が、さまざまな思惑のはざまで想定外の挫折をする。 主人公は民間の職場への出向を指示されるのだが、その民間の職場というのが一般生活者にとって切っても切り離せないスーパーというのが良い。日常の暮らしの品を調達するスーパーは、店側にとっては客の心理を読まなければ商売(仕事)が成り行かないところ。 公務員も、住民の意向を受け止めて住民の為に業務を行うのが本来のあり方。いわば、公務員の仕事も広い意味ではスーパーと相通じるところのあるサービス業だとも言える。 織田裕二扮する「県庁の星」の奮闘ぶりに感激しながらも、観終わってしまえば、これは現実とは程遠い話なのだと冷めてしまう自分が淋しい。 この映画を観て、発奮してくれる若き公務員がいればいいなぁ~ |
2005/11/20 (日) 映画 「エリザベスタウン」 (世の中には「失敗」と「大失敗」がある)といった意味の語りがあり、「失敗」と「大失敗」の違いって何だ?などと考えているうちに全体の話は終ってしまった感がある。 勤務するシューズメーカーに多額の損害を与えたとして、一社員に過ぎないシューズデザイナーが解雇されるほどのことだろうかというのは、この映画を観た多くの人たちの疑問だと、ネット上の感想を読むと知れる。そして、ご多分にもれず、私もそう思った。 主人公にとっては“大失敗”となった新製品の芳しくない売れ行きがもとで解雇を言い渡され、 自殺を考えたその日に父親の急死の知らせ。知らせてきた妹の様子にも、パニックになっているという母親の様子にも、この世の全てが終わりだと悲観するほどの事態には思えない。 途中から登場して、主人公を力づけていくという役柄の女性の立場も不自然。どう考えても、あんな出会いからあんな風に発展しては行かないだろう、としか思えない。 落ち込んだ人に勇気を与える映画との触れ込みだったように思うが、この映画の主人公に起きたような偶然が積み重なれば、誰だって思いなおすことは可能だよなあ~なんて・・・ むしろ、「失敗したー!」という出来事に遭遇した時に、誰も助けてくれない、救いとなりそうな要素は何も無いという状況の中で、自分がどう変わって行けるかが問題であり、それこそ誰もが悩むところなのである。 外部からの何かを手がかりに気持ちを立ち上げて行くストーリーでは、観客を納得させることは難しいだろう。深い絶望に沈む人には、周囲が見えていないことが殆どだから。 一人の男の軽いラブストーリーとして観るなら構わないけれど、どうにもやり場の無い絶望感の救いを求めて観る為には、もの足りないような気がした。 |
2004/08/12 「歩兵の本領」 浅田次郎:著 (株)講談社 講談社文庫 短編9部構成 (若鷲の歌)(小村二等兵の憂鬱)(バトル・ライン)(門前金融)(入営) (シンデレラ・リバティー)(脱柵者)(越年歩哨)(歩兵の本領) 巻末の著者紹介で、浅田次郎氏が私と同年生まれであることを知る。どうりで、全編を通じての社会的な背景が分かりやすかったわけだ。同じ時代を生きてきた者どうしだったわけだから。 この作品は1970年代の自衛隊を舞台にしている。著者が自衛隊経験者であるとの記述から、当時の自衛隊に入隊した20代前後の若者が、どんな思いでどんな隊内生活をしていたのかと、うかがい知ることができて興味深い。 自衛隊に対する社会的な認知は、1970年当時と2004年現在とでは格段の差がある。イラクという現実の戦闘地への派遣が為されている現在、軍隊と呼ぶことが許されない自衛隊ではあっても、そのリスクは“死”そのものであり、それは戦う為の集団が常に意識しているものであろう。 各所にちりばめられた人間味あふれる上官対新入隊員との係わり合い方に、近年の娑婆が失った何ものかを垣間見るような思いがした。 不条理な規律・規則でがんじがらめが基本の自衛隊に入った若者たちが、結局最後に何を体得していくのか。規律・規則が厳しければ厳しいほど、その一方ではどのような配慮が人を人として生かすのか。そんなことを考えさせられた。 |
「動 機」 横山秀夫:著 (株)文藝春秋 文春文庫 短編4部構成 |
「陰の季節」 横山秀夫:著 文藝春秋 文春文庫 まず、何故この本を読もうと思ったかを書かなくてはならない。それは、「半落ち」という映画を観たところから話が始まる。 |