文章講座課題文  「土」  1990年


 5月のある日、テレビのニュースを見ていると、若い女性が薄いビニールの手袋をはめて田植えをしている光景が映された。嫁不足に悩む農村が、都会に住む娘さんを招いて農村の青年と交流を図る催しのひとコマだそうだ。

 田植えに手袋?それこそ私には「えーっ、うっそー、信じらんなーい」である。田んぼの泥に直接触れたくない娘心への配慮かもしれないが、そんな女性を農家の嫁に望んでどうなるのだろう、との疑問がチラリとうかんでしまった。農家育ちの私には、田畑の土が汚いなんてとても考えられない。

 土は不思議だ。そこで育まれた生命は、再び土に還すことができる。植物も動物も人間さえも。どんなに臭気を発する生ごみも土に埋めれば、いつの間にかふかふかとした上等の土になっている。そこでは花や野菜がよく育つ。父や母が営んだ農業を見ても、私のささやかな家庭菜園の経験からも、それは事実である。土が生命を育むさまに、私は幾度となく慰められて来た。

 実家を去るまで、私は時折、母の手助けで農作業をした。田植えもした。稲刈りもした。それらの作業は汚いとか格好悪いといった言葉とは縁のない、充実してさわやかに心地よいものであった。ただし、肉体的な疲れはあったけれど・・・。土に密着して生きる限り、人は地位や財産がなくとも暮らしていけるのではないか、とこのごろ強く感じる。

 実家の古い墓は、人骨がむき出しのまま墓石の下に入っていた。現在、亡夫が眠る我が家の墓は、コンクリートの地下室に骨つぼに納められて入るようになっている。実家の墓も最近、今風に建て直したらしい。私は、ひとりひそかに味気なく思っている。

 中学時代、パール・バックの「大地」を読んで「大地より生まれ出でたる我が命 果てたる後は大地に帰れ」と読後感を詠んだ。今限りなく土にあこがれる私は、せめて骨になったら土に触れて眠りたい、と思うのだが・・・