文章講座課題文  「道」  1989年


 昔、私がまだ幼かったころ「この道はいつか来た道」という映画があった。私は、その映画を、少なくとも三度は見たように思う。
 当時、美人の代名詞だった山本富士子が主演であった。弟役の少年は本当に目の不自由な方だ、とは後で知ったことだった。ウィーン少年合唱団が歌い、盲目の少年がヴァイオリンを演奏する「この道はいつか来た道」のハーモニーは、田舎の子の私には、まさに文化だった。

 娯楽施設など無い山村の楽しみは、限られていた。盆や正月の年中行事は言わずもがな、その外に公民館で催される演芸会や映画会は、毎回盛況だった。昼間の農作業を終えて、早めの夕食を済ませ会場へ向かうころには、あたりはすでに暗かった。明るい時と様子の違う歩き慣れた道を、ワクワク、ドキドキしながら母たちの後に従った。

 同じフィルムが、公民館や学校の講堂など会場を変えて、数度上映されることがあった。夜は母と、昼は近所の子と見に行った。

 私が小学校の高学年のころから、ポツポツと村にテレビが入って来た。それまで遠かった文化に、スイッチひとつで接することができる。暗い夜道を歩く必要もなくなった代わりに、期待を盛り上げ、余韻に浸りながら歩く数十分も失った。村の演芸会や映画会は、いつの間にかなくなってしまった。生活が電化され、車が一般化するようになって、年中行事もおざなりになっていった。それと同時に、私の心も飽きっぽくなり、「感動の起伏」がなくなって行ったように思う。

 あの映画を見た時から、もう30年近くもたとうとしている。最近では、「この道はいつか来た道」を歌う人も少なくなったようだ。幼いころに口ずさんだ童謡や唱歌も遠くへ行ってしまった。なのに、いまだに私は、「道」と聞くと、公民館の安っぽい茶色の引き幕と共に「この道はいつか来た道」を必ず一度は連想するのである。