「眠れるボールペン」

 一時期、職場の出入り業者や買い物をした店などで、ボールペンをもらうことが多かった。そのころは、家の中のあちこちに、宣伝文字入りのボールペンがごろごろしていた。

 事務に携わる人間でなければ、一本のボールペンを使い切るにはそうとうの日数を要する。下手をすると、何年も一本で済んでしまったりする。

 私は、クッキーの空き缶に、もらったボールペンをためこんでいた。何しろ、物のない時代に育った世代の私には、未使用の物を捨てることに抵抗を感じるという遺伝子が、しっかりと組み込まれている。

 しかもその上、ボールペンにもそれぞれ個性があり、使う人間との相性とも言える問題がある。濃い字を好む人、細い字を書きたい人、筆圧の強い人弱い人、なめらかなペン先の動きにこだわる人、何十本あろうとも、まさに「帯に短し、たすきに長し」なのである。

 たまたま使いやすい物に出くわすと、そればかりを使うことになる。インクがなくなれば替え芯を購入して、また使う。というわけで、クッキーの箱の中で王子様を待つ「眠れる森の美女」ならぬ「眠れるボールペン」の目覚めの時はなかなか来ない。

 たまに、使える物を使わないでいることへの罪悪感で、箱の中から二・三本取り出してみると、インクが固まったのか乾燥したのか、字が書けなくなっている。そこでやっと諦めのついたボールペンは、結局、新品のままごみ箱に捨てられるのである。

 有り余るほどの品物に囲まれても、限られた一人の一生で使える量というのは、案外知れているものだなあと、使えなくなったボールペンを見ながら思う。

(2003年5月13日)