2024年(令和6年)5月29日(水)  先勝     曇り  のち  晴れ                

 コンビニ越しに見える富士山が話題になっている。

 SNSで拡散された画像が話題になり、海外からの観光客の撮影スポットになっているという。撮影は、コンビニから道路をまたいだ歯科医院の前の歩道からが最適らしく、車の通行を妨げる無遠慮な横断が日常化しているらしい。

 そこで管理自治体がとった対応策が歯科医院側の歩道に目隠しの黒幕を設置すること。

 その黒幕をテレビのニュースで見た時に、即、「これは絶対に穴を開けられるに違いない」と思った。黒い素材を荒いムシロ状に編んだ黒幕は風通しの確保の為だと察するが、隙間だらけの代物だったからだ。

 案の定、設置まもなく穴が10数個開けられていることがニュースになっている。しかも、それはもともとの黒幕の隙間と見まがうほどの小さな穴。そりゃそうだ、撮影者のスマホカメラが収まればオッケーなのだもの、大きな穴は必要ないよね。私はもっと大きな穴を開けられるのではと思っていたけれど、今のところ穴とも言えない穴にとどまっている。


 観光立国目指すとかインバウンド需要拡大とかの政府の旗振りで来日外国人の数が過去にないくらい増加しているんだそうだ。おまけに円安の現在、日本は安上がりの旅行先になっているという。

 たしかに日常の移動中にも外国人観光客の姿が増えたと感じるようになっている。が、昔と違うと思うのは、客人としての自らを自覚すらしていない傍若無人な振る舞いをする外国人が増えたような気がしている。

 いいのか、このままで?これほど勝手気ままなしたい放題を許しても、なお外国人が落とすお金が欲しいのか?

 インバウンド増加のニュースを見るたびに苦々しい思いが募っている。

2024年(令和6年)5月26日(日)  仏滅     晴れ

 沖縄は梅雨入りしたそうだ。このあたりの雨の季節もそう遠くないなあと思うと少しブルーになる。

 最寄り駅への道端に、毎年この時期になると咲くタチアオイが数本ある。このタチアオイの花は下から上へと開花していくのだが、てっぺん辺りの花が咲き終わるころに梅雨が明けると誰かから聞いてから観察していると、なるほど、その説はもっともだと思える。

 くだんのタチアオイの花が先週あたりから咲き始めた。これからはその傍を通るたびに梅雨明けを待ちこがれる気持ちで眺めることになりそうだ。


2024年(令和6年)5月15日(水)  大安     晴れ                

 大相撲夏場所が始まって、帰宅後のテレビ観戦の楽しみがしばらく続く。圧倒的に強い力士が出て来ないことは残念ではあるが、まあ世の中すべて「ドングリの背比べ」の時代反映かも。

 今の時代、突出(良きにつけ悪しきにつけ)すればしたでろくでもないことでニュースをにぎわすことが多くて嫌になる。


 昨夜は日テレ「カズレーザーと学ぶ」を視た。AI と人間の将来が話題だった。

 AI の進歩に関しては、同時に、人間が携わる仕事との競合が語られることが多い。「AI が普及すると AI にとって代わられて無くなる職業」という具合に。

 やはり、肉体を使う仕事は残るらしいが、それでも将来的には人間が携わらなくてもできるようになるかもしれないと番組では予想していた。が、安心材料としては、そうなるには5~10年はかかりそうなので、私が現在の仕事をしている間には AI にとって代わられることはなさそうだ。

 頭脳労働にしても、AI の仕事の最終責任の所在とか課題別に生じる人間特有の微妙なゆらぎ部分に関しては AI が判断できないらしいので、やはり人間はコンピューターに全てを任せてカプセルの中で一生を横たわって脳内の快楽を貪るだけのような  SF 世界は無いのかもしれない。

 それにしても、あれもこれもコンピューターに任せてしまおうという方向性は、いったいどんな未来世界を創造しようとしているのか、私にはサッパリ理解できないでいる。

2024年(令和6年)5月8日(水)  仏滅     曇り                

 このごろ気になることの一つにテレビに映る女子アナの目が一様にパッチリしてきたこと。みんな似たり寄ったりのどんぐり目を見開いたままカメラ目線で、さぞ本人は自分の目が大きいことに満足しているのだろうなあという印象を受ける。

 「整形した?」という疑念は拭いきれない。

 身体の気になる部位を整形で変えられるなら変えたいと願う気持ちは分からないでもないが、どうしてこうも同じような結果を生むのだろうと思わないでもない。個性的で他と違うことに自信を持つという選択は流行らないのだろうか。

 私がパッチリ目が気になるのはそこに感情が読み取れないから。黒目全体が見えるほどパッチリと目は見開かれているが「楽しい」のか「哀しい」のかが私には伝わって来ない。

 なぜなんだろう?どこがそう感じさせるのだろう?と考えてみるが専門家ではないので解明できない。

 最近ふと思ったのは【まぶたの動き】にヒントがあるのかな……ということ。これは素人の勝手な判断だけれど、まぶたの開閉や微妙な動きが人の感情の表出に連動しているような気がする。

 まあ、個人の身体管理は自己責任だから赤の他人がどうこう言えることではないが、「あんなふうになりたい」と自分の外見を他者に似せて手を加えるのは個性の抹殺になることもあると、私は感じているのである。