2021年(令和3年)3月24日(水)  先勝    晴れ



桜満開で穏やかな晴天の今日。
心穏やかではいられないニュースばかりが「これでもか、これでもか」と伝えられる。

アメリカで増加しているアジア系へのヘイトクライムもその一つ。
白人が自身で自覚するかしないかを問わず、根底に抱いている有色人種に対する優越意識は、折に触れ表面化する。
見た目似たような風貌でも、アジアにはアジアの優劣感情が根底にある。
同じ日本人どうしだからといっても、いわれなき差別が存在する。

人間というものは皆、何とかして相手より上位に立ちたいという欲求を本来的に持っているのだろう。
相手より上位に位置したいという欲求を抑制できるかできないか、そこにこそ人間の精神性が試されるのだと思う。

そうは言っても、人間も霞を食って生きるわけにはいかないので、腹の足しになりそうなものの奪い合いは絶えることはないだろう。
そうした基本行動の端々に「いじきたなさ」や「むさぼり」などの人間性が露わにならないように、自戒したい。

さてはて、あれもこれもこの先どうなることやらの連続で、私が責任者でもないのに胃が痛くなりそうな日々。

2021年(令和3年)3月16日(火)  大安    晴れ  薄雲多め



東京では昨日、靖国神社の桜が5輪以上咲いて開花宣言。
我がマンション下の桜も開花スタート。



一昨日、帰宅途中に傍の公園の水飲み蛇口から噴水のように水が出しっ放しになっているのに気付いた。
その時周囲にいたのは、中学生7-8人と公園の出口に固まって小学生が5-6人と幼い子供を遊ばせていた40代くらいの男性1人。
中学生は噴きあがる水を指さして笑っている。
40代くらいの男性は黙って立っている。
小学生は今にも帰ろうとしている。

誰が水を出しっ放しにしたのだろう?

これまでの私だったら、その場の子ども達に声掛けして犯人を探そうとしたかもしれない。
または、悪行を許せない正義感が強すぎて疎まれてきた自分を自覚するがゆえに見なかったことにして通り過ぎようとしたかもしれない。
しかし今回は違った。
「誰がやったの?ちゃんと水を止めなさい」と言っても無駄だろうと瞬時に悟り、黙って公園に入り水を止めた。

ところが、
立ち去る私の背後で男性の声がした。
「君たちの中の誰かが出しっ放しにしたのだろう?ちゃんと止めなきゃダメじゃないか」
声をかけられた小学生の中から「僕じゃないもん・・・」という声が出たのか、
男性は「自分じゃなくても、君たちの中の誰かがやったんだよね。水を出しっ放しにしてはいけないよね」と諭している。

私はこの男性の行動に救われる思いでその場を後にした。
君たちが垂れ流して無駄にした水はタダじゃないんだよ、と胸の内で呟きながら。

そう言えば、ある自治体の職員が貯水槽の栓を締め忘れて600万円の請求になったという話が、つい先ごろニュースになったばかりだ。

ヤレヤレ(ため息)

2021年(令和3年)3月10日(水)  先負    晴れ  北風強し



昨日は一ヶ月ごとの美容院通い。
通う年数が長くなるほどにぞんざいになる対応がちょっと気になるが「ま、いいか・・・」と気持ちを収めることにしている。
一ヶ月ごとに白髪染めしなければならないというこちらの事情が先にあって、料金の安いことは大きな条件だから。

それにしても、世界中の情勢や人の行動が劣悪になってきたなあと感じる。
テレビや新聞の報道を通してしか知り得ないことばかりだけれど、嫌なニュースばかりが続く。

一方、毎日の暮らしで感じる空気も、次第に険悪度が増加傾向のように感じている。

目に見えぬ微細なウイルスが揺さぶる人間社会。
こんな時に間隙をついてヤッサモッサと荒々しく立ち回れるのは“悪い奴ら”ばかり。
が、こんな時にワサワサと右往左往するばかりの人間は、そうした“悪い奴ら”の爪の垢でも煎じて飲んだほうが良いのか。
いやいや、薄汚い爪の垢など飲みたくもない。

「こうありたい」という信念は捨ててはいけないのだ。

2021年(令和3年)3月2日(火)  先勝    雨 ときどき 曇り 午後から夜にかけて強風   



早や三月。
このごろ過ぎ去る時間が愛おしく感じられて、より丁寧に生きようと想っている。


☆ ☆ ☆

最近ある知人と話す機会があり、
「以前、あなたに理不尽で冷たい仕打ちをしていた人の子どもが、今は当時のあなたが受けたと同じような目に遭っているようですよ」
という話を伝えてくれた。

その知人が私を喜ばせようとして告げ口してくれたわけではなく、当時辛い立場にあった私の気持ちを理解してくれていた人物なので、
「やはり、あなたに問題があったわけではない」と教える為に話してくれたのだと思う。


それで私の頭に浮かんだ言葉がある。
親の因果が子に報う
親の悪行が回りまわって子の不幸になって降りかかることを言う。

歪んだ心で他者の何かを横取りし、一時的に「ラッキー!してやったり」とほくそ笑んでも、その報いは必ずブーメランの如くに我が身に戻ってくる。
そんな人物の心は厚かましさの垢でまみれているから、我が身に戻ってきたブーメランで傷つくことはないかもしれないが、
その人物の大事にしたい誰かがその人物の悪行のとばっちりで悲しむことになる、ということは本当なのだと思う。

人を悲しませるようなことはしてはいけない、のだ。