2020年(令和2年)12月31日(木) 先負 晴れ
パンデミックという言葉は知っていた。
それが起きたら大変らしい、とも。
まさか自分が生きている時代にパンデミックが起きようとは、思いもしなかった。
それは世界中の人々がそうであったに違いない。
2020年は今日で終わり。
とにもかくにも、床に臥すことなく年末まで過ごせたことに感謝しつつ、
年を越すことにしよう。
特別何に向かってでもなく、四方八方に「ありがとう」。
2020年(令和2年)12月22日(火) 赤口 晴れ
2020年(令和2年)12月15日(火) 大安 晴れ
今シーズン一番の冷え込みだとテレビニュースが伝えている。
雪国ではいっきに雪が降り積もったそうだ。
寒いのは寒いのだけれど晴れは晴れ。
大物の洗濯を実行した。
今年の漢字は「密」になった。
むしろ「禍」のほうが・・・と思ったが、この字は2番手だった。
個人的に一文字を選ぶとすれば何になるかなぁ・・・と考えてみる。
「無」か?
いやいや、エッセンシャルワーカーの私は変わらぬ毎日だったので「無」は無し。
ふと浮かんだのが「忙」。
やることなすこと素早くできなくなったことが関係するのか、このところやたら忙しい。
「忙」とは心を亡くすと書く。
そういう意味でも私の今年の漢字は「忙」かもしれない。
人の心に多大な期待をかけてはいけないことを、この年にしてようやく受け止めるようになっている。
大きな期待を持たなければ大きな失望もしないわけで、まあ、淡々と淡々と暮らしていこう。
2020年(令和2年)12月9日(水) 仏滅 曇り
ゴミ出しに行ったらマンション敷地に救急車が停まっていた。
マンション住民も高齢化が進み、このような光景はこれから頻繁化していくことだろう。
命に係わる体調の急変は、とかく未明に発生することが多いように思う。
それはもしかしたら、医療機関が動いていない時間帯の急変が本人や家族を慌てさせることで悪印象として語られることが多いからかもしれない。
生身(なまみ)であるからには、いずれ訪れるであろう身の朽ち果ての日を避けることはできない。
どのような状況で生命活動にピリオドが打たれるのか、それは意識しようがしまいが、この世に生まれた瞬間から始まる。
この世に執着があれば終焉はまさに恐怖になる。
執着はなくても“その時”の苦痛の有無を想像すれば、やはり恐怖となる。
いつも、ここまで考えてはみるものの考えても詮無いことと、思い煩うことを一旦停止することにしている。
停止するきっかけとして日常生活の忙しさは助けになる。
「人は何のために生きるのか?」という問いはいつの時代にも問いかけられてきたテーマだけれど、
結局「生きる」とは「終焉」までに与えられた時間をいかに消費していくかということのようだ。
褒められようがけなされようが、莫大な富を築こうがその日食べるものにも困るほどの貧困にあえごうが、
それぞれの「終焉」までゴソゴソと動き続けるしかない。
朝早くから救急車を見かけたことで、そんなことを改めて考えた。
まあ、この思考も一瞬のことにしておこう。
さ、今日も片付けねばならないことが山とある。
この身を忙しくして過ごそうか。