2020年(令和2年)11月10日(火)  先負     晴れ


さわやかに晴れた一日なのだが・・・・・
このごろ深く考えさせられることが多くて、気持ちは低調。

やれ自動〇〇だのリモート〇〇だの、人間が動かないでも用事を済ませてしまうことがベストだと言わんばかりの動きが気になる。

できるだけ生身の人間の接触を減らそうと・・・
それを新型コロナウイルスの感染発生と拡大が加速させている。

しかし、この地球上の一生物に過ぎない人間のあり方として、それは是認できる方向なのだろうか?
人間が“野生”生物だとして下位に見下している動植物の世界に、果たしてこのような考え方が自発的に起きるかと言うと疑問だ。
いかに人間が上位に立って見下そうと、彼らは自然の成り行きに順応して生命活動を行っている。
順応したくなくて、悪あがきしているのは人間ではないか。

「死は敗北」という考え方は医療の世界のことらしい。
しかし、地球上生命体の一種に過ぎない人間にとって、死とは当然の姿ではないだろうか?

そう考えた時、ウイルスが人間の生命社会に脅威となった時、それはそうだと認識できるがゆえに人間は怖れるのであって、
ウイルスが我が身にどのような運命をもたらすか認識しない生物は、そのことでジタバタはしないだろうということだ。

全ては「あるがまま、なすがまま、なされるがまま」を基本としてものごとは受け入れるしかないではないか。
そこからこそ、「思考する、予想する」という厄介な能力を備えてしまった人間という生命体の協働共存行動が始まるのではないのか。

人間とは、考え予測する能力を手に入れたばかりに、その能力によって自滅する可能性を内在しているように感じる。