2020年(令和2年)7月20日(月) 仏滅 晴れ
今朝、出勤の為に最寄り駅に向かって急いでいると、向こうからあの(エクセル教えて)の女性が犬の散歩をしていた。
「おはようございます」「いってらっしゃい」でお別れしたいと願ったが、彼女は駅までついて来る意思満々。
「教えて」と言われて以後に一度お断りしたのだから、その話はもう出ないかと思ったが、彼女は今朝も食い下がってきた。
向こうにしてみれば、できる人ができない自分に教えてくれるのは当たり前だし簡単なことではないかということなのだろうか。
今日も駅までの道のりずっと、(教えられないこちらの事情)を説明したのだが、どうも通じていないと感じた。
彼女とのやり取りで痛感したのは、自分を中心に物事を判断している彼女の狭量さだった。
昔、結婚後も仕事を続けている女性と専業主婦との意識の違いや社会的な地位に関する議論があった。
私は、自らが背負った人生のめぐりあわせで早くから生活の為に労働せざるを得ない状況で生きている。
労働できない子ども時代を除き、男性の収入で日々を暮らした経験は結婚後の10年間しかない。
フルタイムの雇用を継続させる為には育児も家事も中途半端にせざるを得なかったし、
専業主婦の方々との濃密な交際時間など取れるはずもなかった。
そして、高齢になった現在も組織の中の一員として働いている。
しかも、それらの労働は常に組織階級の中の最下層である。
だから、自分の意のままに周囲を動かせるなどという思い上がりは持ちようにも持てない経験を積み重ねて現在に至っている。
そんな日々の中でも、私は自らの内なる尊厳は失わないようにと自己研鑽の思考を継続してきたつもり。
そうした人生観を培ったことで、周囲からどのような仕打ちを受けようとも我が人生を歩み続けることができたのだと思っている。
人を当てにしない。
できることは自分でする。
できないことでも何とかしようとしてみる。
どんなに望んでも叶わないこともあると知る。
いま自分の周囲にある物や事に感謝する。
もう彼女と遭遇しませんように・・・
神様、仏様、良い子・・・じゃなかった、良いおばあさんになりますから、願いを聞き届けてくださいませませ・・・
2020年(令和2年)7月7日(火) 先負 曇り ときどき 雨 強風 七夕
いま強い風が吹いている。
九州では線状降水帯による洪水被害が発生して大変な状況になっている。
現状はテレビの映像で知るしかないのだけれど、現場の困難さを想像すると胸が痛くなる。
昔から自然災害は繰り返してきたし、その都度、人間は対策をしてきたはずだけれど、自然の力を上回る対策はできないということか。
何をどのように変えれば自然と平和共存できるのか、自然に問いかけて交渉することはできない。
「美しい自然に癒される」などというやわな自然観など吹っ飛ばしてしまう自然の猛威。
心癒される自然の情景は、何度も繰り返す激甚な自然変動で出来上がったものが多い。
そして、そのような地球上の「美しい景色」は不変ではないことを、こうした災害が発生するたびに思い知らされる。
【自然を畏怖する】ことを忘れてはいけないと改めて強く思う。
2020年(令和2年)7月1日(水) 先負 曇り ときどき 雨 強風
コロナ・コロナで半年暮れて・・・
まだまだ続くよコロナの日々が。
もう、7月。
今日メディアが注目したニュースで大きな話題は香港。
これまで国家や政権に関して自由に批判できていた一国二制度が崩壊させられて中国共産党の監視下に置かれることになった。
あな恐ろしや恐ろしや。
言いたいことが自由に発言できない社会とはどんなものか。
そのような強権濫用の国に暮らしていないことの幸せを考えねばならない。
と言いつつも、今朝たまたま東京都知事選挙の放送をテレビで見た。
三人分だったけれど、注目の人物ではない人たち。
一人は論外。
二人目は、最初見た目で「え〜ッ、この人・・・」と思ったが、その主張には感じるところがあった。
三人目は、無難な言葉をつないで語ってはいるが、おそらく当選したら態度が一変するだろうという印象。
今回の都知事選の立候補者は皆「胡散臭い」と、投票権のない立場で私は呆れている。